上塩冶築山古墳
墳丘
所属築山古墳群
所在地島根県出雲市上塩冶町
位置.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯35度21分0.00秒 東経132度45分38.40秒 / 北緯35.3500000度 東経132.7606667度 / 35.3500000; 132.7606667
上塩冶築山古墳(かみえんやつきやまこふん)は、島根県出雲市上塩冶町にある古墳。形状は円墳。築山古墳群を構成する古墳の1つ。国の史跡に指定され、出土品は国の重要文化財に指定されている。 出雲地方の主な後期・終末期古墳古墳名墳形石室築造時期史跡指定 島根県北東部、神戸川北岸の微高地上に築造された古墳である[1]。周辺では中小古墳が取り巻き築山古墳群を形成する[2]。墳丘周囲は削平を受けているが、これまでに1887年(明治20年)に石室が発見され副葬品が出土したほか、1985年度(昭和60年度)以降に墳丘周囲の発掘調査が実施されている[2]。 墳形は円形で(かつては前方後円形とする説もあった)、直径約46メートル・高さ約6メートルを測る[3]。墳丘表面・周囲部では円筒埴輪・須恵器子持壺が検出されている[4][1]。墳丘周囲には周堀(幅約16メートル)が巡らされており、周堀を含めた直径は約77メートルにおよぶ[3]。埋葬施設は大型の切石積横穴式石室で、玄室内に横口式家形石棺2基が据えられる[1]。これらの石棺内からは多数の副葬品が検出されている[1]。 この上塩冶築山古墳は、古墳時代後期の6世紀末葉[5](または6世紀後半[1])頃の築造と推定される。石室規模および優れた副葬品から、今市大念寺古墳に続く出雲地方の代表的首長墓に位置づけられる古墳である[4][6]。 古墳域は 1924年(大正13年)に国の史跡に指定され[7]、出土品は2018年(平成30年)に国の重要文化財に指定されている[8]。
概要
今市大念寺古墳前方後円墳6c後半国史跡
上塩冶築山古墳円墳6c末国史跡
上塩冶地蔵山古墳不明7c前半国史跡
遺跡歴
1887年(明治20年)、石室の発見、副葬品の出土[1][4]。
1907年(明治40年)、ウィリアム・ゴーランドが前方後円墳として報告[3]。