上古天皇の在位年と西暦対照表の一覧
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上古天皇の在位年と西暦対照表の一覧(じょうこてんのうのざいいねんとせいれきたいしょうひょうのいちらん)は、初代神武天皇から第25代武烈天皇までの天皇摂政神功皇后を含む)の在位年および空位年と西暦ならびに皇紀干支との対照表を列挙したものである。神武天皇については誕生からの各年のほか、祖先の神々の一覧を付した。この時代には元号は使用されていない。

いずれの年代も『日本書紀』の記述を基に編纂された長暦である『日本長暦』に基づくものであり、考古学的知見に基づくものではないが、神武天皇の后の父は纒向遺跡付近の大神神社の祭神とも伝わる。第2代綏靖天皇から第9代開化天皇までは欠史八代と呼ばれ、神武天皇と共に実在性が低いとされるが、纒向遺跡付近の志貴御縣坐神社を本拠とした磯城県主と、これを女系で継承した穂積氏物部氏の遠祖が8代の皇后を出したとも伝わるが、異伝もある。第10代崇神天皇、第11代垂仁天皇、第12代景行天皇は纒向遺跡付近に都したと伝えられ、箸墓古墳大彦命稲荷山古墳出土鉄剣銘文のオオヒコに比定する説がある)の伝承もあり、実在したならば3世紀後半から4世紀半ばと推定されるが、定かではない。また『日本書紀』が記す神功皇后・第15代応神天皇の時代の歴代百済王の年代は『三国史記』が記す年代(4世紀後半?5世紀初頭)より120年遡ることが知られており、応神天皇から第21代雄略天皇までは『宋書』の倭の五王(5世紀)に比定する説がある。特に倭王武に比定される雄略天皇は上記鉄剣銘文のワカタケル大王にも比定され、5世紀後半に実在したことはほぼ確実とされる。

なお、旧暦太陰太陽暦)と西暦(太陽暦)との比較や換算にあたっては、年初が1か月程度ずれる(その年によって異なるが約20?50日、西暦の方が1月1日の到来が早い)ので、特に旧暦11月12月を取り扱う際には注意が必要である。また、いずれの天皇・摂政も譲位はしておらず、すべて崩御(死亡)によって在位が終了したとされる。

太字は『日本書紀』の太歳干支の年を示す。
神武天皇即位以前造化三神

高天原に最初に成り出た独り神の三柱。

天之御中主神

高皇産霊尊

神皇産霊尊
別天津神造化三神を含む五柱)

別天津神(ことあまつかみ)は、『古事記』に記される、高天原に最初期にあらわれた五柱の神々(造化三神を含む)である。


天之御中主神(あめのみなかぬし)

高皇産霊尊(たかみむすび)

神皇産霊尊(かみむすび)

宇摩志阿斯訶備比古遅神(うましあしかびひこぢのかみ)

天之常立神(あめのとこたちのかみ)
神世七代

神世七代は、『古事記』に記される、別天津神の次に現れた十二柱・七代の神々である。最初の二代は一柱で一代、その後は二柱で一代と数えて七代とする。

国之常立神(くにのとこたちのかみ)

豊雲野神(とよぐもぬのかみ)

宇比地邇神(うひぢにのかみ)・須比智邇神(すひぢにのかみ)

角杙神(つぬぐいのかみ)・活杙神(いくぐいのかみ)

意富斗能地神(おおとのぢのかみ)・大斗乃弁神(おおとのべのかみ)

淤母陀琉神(おもだるのかみ)・阿夜訶志古泥神(あやかしこねのかみ)

伊邪那岐神(いざなぎのかみ)・伊邪那美神(いざなみのかみ)
地神五代日向三代を含む五代)

地神五代は次の5世代である。

スサノオ(伊邪那伎日真名子 加夫呂伎 熊野大神 櫛御気野命)アマテラス(天照国照彦天火明櫛甕玉饒速日尊)

オシホミミ(正勝吾勝勝速日天之忍穗耳命)・・アマテラスとスサノオの誓約の長男

ニニギ(天邇岐志國邇岐志天津日高日子番能邇邇藝命)・・・天津日高日子

ホオリ(天津日高日子穂穂手見命)火折尊、火遠理命、山幸彦・・・天津日高日子、ホホデミ

フキアエズ(天津日高日子波限建鵜葺草葺不合命)・・・天津日高日子


このうち日向三代は、筑紫の日向に宮居した次の3代である。

ニニギ(天邇岐志國邇岐志天津日高日子番能邇邇藝命)・・・天津日高日子

ホオリ(天津日高日子穂穂手見命)火折尊、火遠理命、山幸彦・・・天津日高日子、ホホデミ

フキアエズ(天津日高日子波限建鵜葺草葺不合命)・・・天津日高日子


初代神武の全名は次の通り。


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