上原健太_(野球)
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上原 健太北海道日本ハムファイターズ #20
2022年4月1日 京セラドーム大阪
基本情報
国籍 日本
出身地沖縄県うるま市
生年月日 (1994-03-29) 1994年3月29日(30歳)
身長
体重191 cm
90 kg
選手情報
投球・打席左投左打
ポジション投手外野手
プロ入り2015年 ドラフト1位
初出場2016年9月30日
年俸4000万円(2024年)[1]
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)


広陵高等学校

明治大学

北海道日本ハムファイターズ (2016 - )

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■プロジェクト:野球選手  ■テンプレート

上原 健太(うえはら けんた、1994年3月29日 - )は、沖縄県うるま市出身のプロ野球選手投手外野手)。左投左打。北海道日本ハムファイターズ所属。
経歴
プロ入り前

小学校から軟式野球を始める[2]。中学まで沖縄で過ごす。

強豪・広陵高校で1年夏から控え投手としてベンチ入りする。2年夏にチームはエース有原航平を擁し第92回全国選手権に出場したものの登板することなく、聖光学院高校歳内宏明に抑えられ、0-1でチームは2回戦敗退。秋からエースとなる。2年秋は準決勝で敗れ、3位決定戦にも敗れ、4位に終わり、3年春は広島県大会準決勝で秋に3位決定戦で敗れた総合技術に敗れ、夏は3回戦で敗退し、甲子園に出場することなく明治大学に進学する。高校時代1学年上には前述有原と福田周平、同学年には吉持亮汰、1学年下には佐野恵太がおり、福田と佐野は大学でもチームメイトとなる。明治大学時代
(2013年6月15日)

明治大学では1年春からリーグ戦に出場する。2年時は主に中継ぎとして登板し、春秋連続でリーグ制覇に貢献。3年秋には防御率0.96で最優秀防御率のタイトルを獲得。4年夏にはユニバーシアード大会に出場し、優勝に貢献した[3]。リーグ通算57試合に登板、14勝9敗、防御率2.14、172奪三振を記録。

2015年10月22日に行われたドラフト会議北海道日本ハムファイターズから1位指名を受け、11月12日に契約金9000万円、年俸1300万円で契約に合意した[4]。背番号は20[5]。奇しくも高校の先輩・有原が前年に日本ハムからドラフト1位指名を受けて入団しており、2年連続広陵高校卒の投手がドラフト1位となった。
日本ハム時代

2016年は春季キャンプを一軍でスタートしたが[6]、2月20日の紅白戦では1/3回を8失点の大乱調[7]。開幕を二軍で迎えると、二軍でも好不調の波が激しい投球が続き、イースタン・リーグでは18試合の登板で1勝4敗・防御率5.63という成績であった[8]。同リーグ全日程終了後の9月30日に出場選手登録となり[9]、同日の千葉ロッテマリーンズ戦でプロ初登板。1イニングを1安打1奪三振無失点に抑えたが[10]、ルーキーイヤーの一軍登板はこの1試合のみであった。オフに100万円減となる推定年俸1200万円で契約を更改した[11]

2017年も春季キャンプを一軍でスタートしながらも[12]、開幕は二軍で迎えた。7月3日に中継ぎとして出場選手登録をされ[13]、3試合に登板するも同13日に登録抹消[14]。7月23日の埼玉西武ライオンズ戦でプロ初先発となったが、4回0/3を4失点でプロ初黒星を喫した[15]。この試合も含めて4戦4敗と苦しみながらも先発ローテーションを回り[16]、8月20日の西武戦では3回表に左人差し指のマメが破れるアクシデントに見舞われながらも[17]、5回3安打5四球3奪三振無失点という内容でプロ初勝利を挙げた[18]。ただ、同23日に出場選手登録を抹消されて[19]以降は1試合の先発登板[20]のみにとどまり、この年は9試合(6先発)の登板で1勝5敗・防御率6.23という成績であった。オフに現状維持となる推定年俸1200万円で契約を更改した[21]マツダスタジアムにて
(2018年3月14日)

2018年は中継ぎとして自身初の開幕一軍入りを果たしたが[22]、4月21日に出場選手登録を抹消された[23]。5月26日の西武戦でシーズン初先発となり、勝敗は付かなかったものの、5回2失点と試合を作った[24]。翌27日に再び登録抹消となったが[25]、6月18日の広島東洋カープ戦に先発登板すると、投げては5回3安打無四死球5奪三振1失点の好投でシーズン初勝利を挙げ[26]、第2打席では福井優也からプロ初安打初本塁打となるソロホームランを放った[27]。続く同27日の福岡ソフトバンクホークス戦は沖縄セルラースタジアム那覇で開催され、初の凱旋登板となり[28]、5回4安打1四球4奪三振1失点という内容で勝敗は付かなかった[29]。その後、先発予定であった7月5日の西武戦[30]が雨天中止となると[31]、翌6日に出場選手登録を抹消され[32]、二軍調整が長らく続いた。ただ、9月27日のオリックス・バファローズ戦で3か月ぶりの一軍先発登板となり、5回0/3を無失点の好投で勝利投手となると[33]、この試合も含めてシーズン最終盤では3戦3勝を記録[34][35]。この年は10試合(6先発[36])の登板で4勝0敗・防御率3.13という成績を残し[37]、オフに500万円増となる推定年俸1700万円で契約を更改した[36]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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