上原 まり(うえはら まり、本名:.mw-parser-output ruby.large{font-size:250%}.mw-parser-output ruby.large>rt,.mw-parser-output ruby.large>rtc{font-size:.3em}.mw-parser-output ruby>rt,.mw-parser-output ruby>rtc{font-feature-settings:"ruby"1}.mw-parser-output ruby.yomigana>rt{font-feature-settings:"ruby"0}柴田 洋子(しばた ようこ)、1947年5月23日 - 2018年8月29日)は筑前琵琶演奏家、元宝塚歌劇団花組トップ娘役。
兵庫県神戸市、神戸市立湊川高等学校出身。公称身長157センチ、血液型A型。愛称ヨーコちゃん。 筑前琵琶旭会総師範柴田旭堂の一人娘として生まれる。高校一年時に東京新聞主催邦楽コンクール琵琶部門で3位入賞。「柴田旭艶」の名を持つ。 1966年、宝塚音楽学校入学。第54期生。同期に順みつき、尚すみれらがいる。 1968年に宝塚歌劇団に入団。芸名は「姓は女優・上原美佐、名は幼少より親しかった友人にちなんで」命名した。花組公演『マイ・アイドル[1]』で初舞台を踏む。入団時の成績は59人中27位[1]。 1969年7月7日[1]に花組配属。甲にしき、榛名由梨、安奈淳、松あきらの相手役を務める。 1979年3月25日に専科へ移籍。各組公演に特別出演するようになる。 代表作には『ベルサイユのばら』のマリー・アントワネット、『新源氏物語』の藤壺など。 1981年4月30日付[1]で、月組公演『新源氏物語』の藤壺役を最後に退団。その後は筑前琵琶の語り手として活躍。 琵琶語りの代表作としては、『平家物語』、小泉八雲の『雪女』『耳なし芳一』、また瀬戸内寂聴現代語訳・水原央構成による『源氏物語』シリーズがある。 宝塚歌劇団との関わりも現役時代ほどではないが続けていた。OGイベントには幾度となく出演したほか、1992年月組バウホール公演『高照らす日の皇子』(作・演出:谷正純、主演:天海祐希)の琵琶演奏も担当。 さらに2007年、松竹からの要請でOSK日本歌劇団の52年ぶりになる京都南座公演『レビュー in KYOTO ? 源氏千年夢絵巻』に紫式部役で特別出演。引き続き翌2008年の『レビュー in KYOTO U? 輪舞曲(ロンド)薫と浮舟』にも紫式部役で特別出演した。 2018年8月29日、死去[2]。71歳没。 ※『歌劇』1981年4月号(宝塚歌劇団)のpp.90-91を参考資料にした。
来歴・人物
宝塚時代の舞台出演
初舞台・組廻り
『マイ・アイドル』(花組)(1968年4月)*初舞台
『シルクロード』新人公演:メルバ(星組)(1969年4月)
花組時代
『扇源氏』新人公演:きらら(本役:八汐みちる)(1970年11月)
『花は散る散る』新人公演:若紫(本役:竹生沙由里)(1971年4月)
『人魚姫』人魚ルル(1971年8月)
『小さな花がひらいた』おりつ(1971年11月)
『哀愁のナイル』新人公演:ネフェルト(本役:薫邦子)(東京、1972年7月)
『炎の天草灘』菊(1972年9月)
『新・花かげろう』若狭(1973年5月)
『この恋は雲の涯まで』チャレンカ(1973年8月)
『この恋は雲の涯まで』新人公演:静御前(本役:大原ますみ)(東京、1973年11月)
『花のお嬢吉三』おとせ(1974年1月)
『虞美人』呂妃(1974年5月)
『海と太陽とファド』西之表花子(1974年10月)
『夢みる恋人たち』フロレアナ(1975年3月)
『ベルサイユのばら』マリー・アントワネット(1975年7月 - 8月)
『あかねさす紫の花』額田女王(1976年2月 - 3月)
『うつしよ紅葉』濃姫/『ノバ・ボサ・ノバ』マダム・ガート(1976年8月 - 9月)
『ル・ピエロ』クネコンダ(1977年1月 - 2月)
『宝舞抄』深雪(1977年8月 - 9月)
『風と共に去りぬ』メラニー(1978年2月 - 3月)
『ホフマン物語』アントニア(宝塚バウホール、1978年4月)