上内間木
大字
さくら草水門
.mw-parser-output .locmap .od{position:absolute}.mw-parser-output .locmap .id{position:absolute;line-height:0}.mw-parser-output .locmap .l0{font-size:0;position:absolute}.mw-parser-output .locmap .pv{line-height:110%;position:absolute;text-align:center}.mw-parser-output .locmap .pl{line-height:110%;position:absolute;top:-0.75em;text-align:right}.mw-parser-output .locmap .pr{line-height:110%;position:absolute;top:-0.75em;text-align:left}.mw-parser-output .locmap .pv>div{display:inline;padding:1px}.mw-parser-output .locmap .pl>div{display:inline;padding:1px;float:right}.mw-parser-output .locmap .pr>div{display:inline;padding:1px;float:left}上内間木上内間木の位置
.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯35度49分27.21秒 東経139度36分34.1秒 / 北緯35.8242250度 東経139.609472度 / 35.8242250; 139.609472
国 日本
都道府県 埼玉県
市町村 朝霞市
人口(2017年(平成29年)10月1日現在)[1]
? 合計1,199人
等時帯UTC+9 (日本標準時)
郵便番号351-0001[2]
市外局番048[3]
ナンバープレート所沢
上内間木(かみうちまぎ)は、埼玉県朝霞市の大字。旧新座郡上内間木村[4][5]。郵便番号は351-0001[2]。 朝霞市の東北部に位置し、北部を志木市下宗岡及び宗岡、荒川左岸の飛地に接した東部をさいたま市桜区大字下大久保・田島・南区堤外、荒川を跨いだ東南部を戸田市大字曲本・重瀬、南部を下内間木、新河岸川を跨いだ西部を田島
地理
北部から新河岸川右岸に向かう際には、宮戸飛地から新宮戸橋または志木市下宗岡から宮戸橋から渡る方法が使われている。荒川の左岸との間にはJR武蔵野線の鉄橋・荒川橋梁(1,293メートル、武蔵野線開業当時は日本第2位の長さだった[6]。)が存在しているが、人や自動車が渡ることのできる橋梁は存在しない。荒川左岸に向かう場合は北に回り志木市宗岡の秋ヶ瀬橋を利用する。
地形は東を荒川、西を新河岸川に挟まれた低湿地であり、水害防止のために作られた竹林の残る水田地帯だったが、1970年代以降は工場が進出している[4]。地区南部を中心に中小の機械部品工場などの工場が集積し工業団地の様相を呈している。また物流倉庫、残土置場、中間処分場、最終処分場が散見される。また荒川沿いの河川敷は朝霞パブリックゴルフ場のコース北半分になっており、クラブハウスも地内にある[4]。埼玉県道79号朝霞蕨線(旧称県道田島膝折線)が南北に貫いている[4]。
最寄駅は東武東上線朝霞台駅(JR武蔵野線北朝霞駅)になるが、約2km離れている。また国際興業バス朝50系統、朝霞市内循環バス内間木線が通っており、これを利用して朝霞台駅(北朝霞駅)または朝霞駅に到達できる。地内には内間木公園(内間木・旧「湯?ぐうじょう」)・丸沼・上内間木・上内間木三在・新盛橋の5つのバス停留所が存在する。 内間木の名は『江戸名所図会』によれば武蔵五牧 住宅地の地価は2013年(平成25年)7月1日の埼玉県の地価調査によれば上内間木字中通117番1外の地点で6万8600円/m2となっている。
地名の由来
河川
荒川 - 東辺を南流している一級河川。
新河岸川 - 西辺を南流する一級河川。かつては水運に利用された。
鴨川 - 荒川左岸の飛地で荒川に合流する一級河川。
鴨川放水路 - 上記鴨川の分流。上流のさいたま市桜区下大久保で分かれ、荒川左岸の飛地で再合流する。
地価
歴史阿弥陀堂
元々新河岸川と荒川(旧入間川)に挟まれ、たびたび水害を受ける場所だったが[9]、1629年(寛永6年)に旧入間川が荒川の本流になって後、水害の常襲地域となった[4]。農民は土地の高いところに僅かに畑を作り、他は専ら原野での草茅の採集を産業としていた[8][9]。家一軒ごとに舟を備え、洪水の際には台地に逃げるようにしていたといわれる[10]。