上之園町
町丁
鹿児島県立甲南高等学校
.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯31度34分52秒 東経130度32分52秒 / 北緯31.581度 東経130.547694度 / 31.581; 130.547694座標: 北緯31度34分52秒 東経130度32分52秒 / 北緯31.581度 東経130.547694度 / 31.581; 130.547694
国 日本
都道府県 鹿児島県
市町村 鹿児島市
地域中央地域
地区中央地区
人口情報(2020年(令和2年)4月1日現在)
人口3,529 人
世帯数2,188 世帯
設置日1889年(明治22年)4月1日
郵便番号890-0052
市外局番099
ナンバープレート鹿児島
町字ID[1]0014000
運輸局住所コード[2]46500-0444
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上之園町(うえのそのちょう[3])は、鹿児島県鹿児島市の町[4]。旧薩摩国鹿児島郡鹿児島城下上之園通町、鹿児島府下上之園通町、鹿児島市上之園通町。郵便番号は890-0052[5]。人口は3,529人、世帯数は2,188世帯(2020年4月1日現在)[6]。上之園町の全域で住居表示を実施している[7]。 鹿児島市の中央部、甲突川下流域に位置している。町域の北方へ加治屋町、南方には上荒田町、西方には中央町、東方には高麗町、荒田が接している。 町域の北部をナポリ通り、中央部を甲南通り、南部を中洲通りがそれぞれ東西に通っており、東部を高麗本通りが南北に通っている。北部には甲突川が東西に流れており、それに沿って公園が設置されている。南端に鹿児島県立甲南高等学校、西端に鹿児島市立中洲小学校が所在している。 北東端には甲突川五石橋のうちの一つであった高麗橋が所在していたが、平成5年8月豪雨の水害に伴う河川改修工事のため撤去され、現在は石橋記念公園内に移設されている[8]。 江戸時代の天保年間には鹿児島城下の武家屋敷は甲突川の北側から徐々に南に広がり上之園町あたりに居住しているものも多数おり[9]、高麗町と連続し下級武士が多く居住していた[10]。また上之園郷中が置かれており、郷中教育が行われていた[11]。天保年間の「天保城下絵図」に「上ノ園」という記述が見える[12]。 明治時代初期には鹿児島府下のうちで上之園通町と称していた[4]。 1888年(明治21年)に公布された市制(明治21年法律第1号)に基づき、1889年(明治22年)2月2日に官報に掲載された「 市制施行地 1962年(昭和37年)に住居表示に関する法律が施行されたのに伴い、鹿児島市は鹿児島市街地域の住居表示に着手した[16]。西鹿児島駅前一帯(中洲工区)において町界町名の変更が実施されることとなり、1970年(昭和45年)に上之園町及び上荒田町、武町(現在の武)、西田町(現在の西田)の各一部より中央町が設置され、上荒田町及び高麗町、武町の一部が上之園町に編入された[4][17]。 分割後分割年分割前 以下の表は国勢調査による小地域集計が開始された1995年以降の人口の推移である。 上之園町の人口推移年人口
地理
河川
甲突川
歴史
近代
市制施行以後
町域の変遷
中央町(新設)1970年(昭和45年)上之園町(一部)
上之園町(編入)上荒田町(一部)
高麗町(一部)
武町(一部)
人口
1995年(平成7年)[18]3,262
2000年(平成12年)[19]3,167
2005年(平成17年)[20]3,151
2010年(平成22年)[21]3,450
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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