この項目では、かつて存在した自治体について説明しています。現在の中心部については「上下町上下」をご覧ください。
上下町旗上下町章
廃止日2004年4月1日
廃止理由編入合併
甲奴郡上下町 → 府中市
現在の自治体府中市
廃止時点のデータ
国 日本
地方中国地方(山陽地方)
都道府県広島県
郡甲奴郡
市町村コード34561-0
面積85.53 km2
総人口5,966人
(2004年3月31日)
隣接自治体府中市、甲奴郡甲奴町、総領町、神石郡三和町、神石町、世羅郡甲山町
町の木マツ
町の花アヤメ
上下町役場
所在地〒729-3492
広島県府中市上下町上下466-1
座標.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯34度41分44秒 東経133度06分59秒 / 北緯34.69558度 東経133.1165度 / 34.69558; 133.1165座標: 北緯34度41分44秒 東経133度06分59秒 / 北緯34.69558度 東経133.1165度 / 34.69558; 133.1165
特記事項町役場のデータは府中市役所上下支所のものである。
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町役場として使われていた建物(2007年撮影)
上下町(じょうげちょう)は、広島県の中東部に位置する町。かつては甲奴郡に属した。2004年(平成16年)4月1日に南隣の府中市へ編入され、府中市上下町となった。
江戸時代は旧石見銀山から瀬戸内海への銀山街道の宿場町の一つであり、天領とされ、両替商など金融業で栄えた[1]。
町名の由来
中心部付近が芦田川水系と江の川水系の分水嶺になっていることから。
分水嶺であり峠でもあったことから、峠の字から山を除いて上下となった。
最初の上下村になるとき、上野村と下野村に挟まれていたことから。
歴史
沿革
1889年(明治22年)4月1日 - 町村制施行に伴い、甲奴郡上下村が成立。
1897年(明治30年)5月7日 - 町制を施行し上下町となる。
1954年(昭和29年)3月31日 - 甲奴郡清岳村・矢野村・吉野村および階見村の一部と新設合併し、改めて上下町が発足。
1955年(昭和30年) - 字斗升が芦品郡阿字村と同郡大正村に分離。
1957年(昭和32年)6月10日 - 世羅郡甲山町の一部(松崎地区)を編入。
2004年(平成16年)4月1日 - 府中市に編入。同日上下町廃止。
主な出来事
1873年(明治6年)3月 - 上下代官所跡に上下小学校が創設[2]。
1874年(明治7年)10月 - 上下郵便局、普通郵便の取り扱いを開始。
1886年(明治19年)9月 - 国留小学校校舎が暴風雨により倒壊[3]。
1900年(明治33年)1月 - 備後銀行上下支店開設[4]。
1913年(大正2年)1月 - 上下郵便局で通話交換事務取扱開始[5]。
1914年(大正3年)10月 - 上下電灯株式会社開業(大正7年に広島呉電力に合併)。
1917年(大正6年)6月 - 清岳村役場、火災により焼失。
1920年(大正9年) - 6月に甲奴郡実科高等女学校(後の広島県立上下高女)設置認可、11月に甲奴郡実業補習学校(後の広島県立上下農学校)設置認可[6]。
1938年(昭和13年)7月 - 福塩南北線が開通。福塩線に改称[7]。
1956年(昭和30年)12月 - 上下小学校東校舎、火災により焼失[8]。