上の部屋(うえのへや、英語: the Upper Room)または「二階の広間」、「高間[1]」、「セナクル」(英語: the Cenacle)などとも呼ばれているのは、キリスト教の伝承でイエス・キリストが弟子たちと「最後の晩餐」と聖霊降臨の場所との伝承がある所で、イスラエルのエルサレムにある。 新約聖書にはイエス・キリストが捉えられて十字架刑に遭い亡くなる前の晩に、12人の弟子たちと「過越し祭」の夕食、「最後の晩餐」を行ったことが伝えられている。参照:共観三福音書(例えば、『マタイによる福音書』26章17-36節)。 最後の晩餐ではイエスがパンを取って弟子たちに分け与えて「これは私の体」、またぶどう酒を分け与えて「これは私の血」、と言って自分が亡くなった後もこのように行うように言っている。クリスチャンは教会で毎日曜日または定期的にこの儀式を行なうという重要な事柄になっている。 また、イエスの死と復活後、イエスの教えを守り、宣教を続ける弟子たちに「聖霊」が下り、これは聖霊降臨日と呼ばれキリスト教会の始まりとされていて、復活祭とクリスマスと共に重要記念日としてされている。 最後の晩餐が行われた場所について、二人が、「どこに用意いたしましょうか」と言うと、イエスは言われた。「都に入ると、水がめを運んでいる男に出会う。その人が入る家までついて行き、家の主人にはこう言いなさい。『先生が、「弟子たちと一緒に過越の食事をする部屋はどこか」とあなたに言っています。』 すると、席の整った二階の広間を見せてくれるから、そこに準備をしておきなさい。」二人が行ってみると、イエスが言われたとおりだったので、過越の食事を準備した。 ? 日本聖書協会『新共同訳聖書』、ルカによる福音書 22章9-13節 と記載されている。『マルコによる福音書』(14章12-17節)にも同様な記述がある。 イエスの死後、弟子たちに聖霊が初めて下った(聖霊降臨)といわれる箇所では、彼らは都に入ると、泊まっていた家の上の部屋に上がった。それは、ペトロ、ヨハネ、ヤコブ、アンデレ、フィリポ、トマス、バルトロマイ、マタイ、アルファイの子ヤコブ、熱心党のシモン、ヤコブの子ユダであった。彼らは皆、婦人たちやイエスの母マリア、またイエスの兄弟たちと心を合わせて熱心に祈っていた。 ? 日本聖書協会『新共同訳聖書』、使徒言行録 1章13-14節 と記載されており、「上の部屋」が再度登場する。 新約聖書の『使徒言行録』にはマルコとも呼ばれたヨハネ
最後の晩餐と聖霊降臨
場所シオンの丘にある「上の部屋」が「最後の晩餐」の場であったとされて、公開されている。
様々なことが行われた場所との伝承
イエスが弟子たちの足を洗った(『マタイによる福音書』13:1)
最後の晩餐(同26:26)
イエスが復活して弟子たちに姿を現した(『マルコによる福音書』16:14)
キリストの昇天後、イエスが弟子たちに現れた(『使徒言行録』1:10)
マティアを12人の弟子に加えた(同1:15)
聖霊降臨(同2:1)
東方教会のシリア正教会では聖マルコ修道院(エルサレム)の「ここがマルコとも呼ばれたヨハネの母の家」とする表示(6世紀)