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三鷹駅
北口(2019年9月)
みたか
Mitaka
所在地東京都三鷹市下連雀三丁目46-1[* 1].mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯35度42分9.7秒 東経139度33分39秒 / 北緯35.702694度 東経139.56083度 / 35.702694; 139.56083座標: 北緯35度42分9.7秒 東経139度33分39秒 / 北緯35.702694度 東経139.56083度 / 35.702694; 139.56083
所属事業者東日本旅客鉄道(JR東日本)
電報略号ミツ
駅構造地上駅(橋上駅)
ホーム3面6線
乗車人員
-統計年度-79,415人/日(降車客含まず)
-2022年-
開業年月日1930年(昭和5年)6月25日
乗入路線 2 路線
所属路線■中央線(快速)
(線路名称上は中央本線)
駅番号JC12
キロ程13.8 km(新宿起点)
東京から24.1 km
◄JC 11 吉祥寺 (1.6 km) (1.6 km) 武蔵境 JC 13►
所属路線■中央・総武線(各駅停車)[* 2]
(線路名称上は中央本線)
駅番号JB01
キロ程中央線(快速)に同じ
千葉から60.2 km
◄JB 02 吉祥寺 (1.6 km)
備考.mw-parser-output .plainlist--only-child>ol,.mw-parser-output .plainlist--only-child>ul{line-height:inherit;list-style:none none;margin:0;padding-left:0}.mw-parser-output .plainlist--only-child>ol li,.mw-parser-output .plainlist--only-child>ul li{margin-bottom:0}
直営駅(管理駅)
みどりの窓口 有
^ 正式な所在地。東側は武蔵野市中町一丁目に跨る。
^ 中央本線の複々線区間は当駅まで。武蔵境方は複線。緩行線は1面2線、快速線は2面4線。
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三鷹駅(みたかえき)は、東京都三鷹市下連雀三丁目にある、東日本旅客鉄道(JR東日本)の駅である。 当駅に乗入れている路線は、線路名称上は中央本線のみであるが、一般列車運転系統としては、当駅以東(新宿駅方面)で急行線を走る特急列車と中央線快速電車、及び緩行線を走る中央・総武線各駅停車(地下鉄東西線直通列車を含む)が停車する。 中央・総武線各駅停車は当駅を運転系統の起点及び終点としており、御茶ノ水駅からの中央本線複々線区間は当駅までとなっている。当駅以西(立川駅方面)の複線区間には特急列車及び中央線快速電車のみ乗入れる。 大月・甲府方面まで運転される普通列車(中距離電車)は1993年11月30日までは新宿駅・当駅・立川駅に停車していたが、同年12月1日ダイヤ改正以降、定期列車として当駅に停車し新宿駅まで運転するものはホリデー快速等臨時快速列車を除き消滅し、中距離電車は立川駅・八王子駅・高尾駅発着となった。 駅番号は中央線快速電車がJC 12、中央・総武線各駅停車がJB 01である。
乗入路線
歴史
1929年(昭和4年)9月1日:鉄道省の三鷹信号場として開設。
6月に、現在の三鷹電車区の前身となる「中野電車庫三鷹派出所」が新設され、9月には「三鷹電車庫」として独立した。
1930年(昭和5年)6月25日:三鷹駅に昇格。当初は南口のみ。
1941年(昭和16年):武蔵野口(現在の北口)開設[1]。
1949年(昭和24年)
6月1日:日本国有鉄道発足[2]。
7月15日:三鷹事件発生[2]。無人列車が暴走し、死者6人を出した[2]。
1951年(昭和26年)4月14日:当駅 - 武蔵野競技場前駅間が開通[3]。
1959年(昭和34年)11月1日:当駅 - 武蔵野競技場前駅間が廃止[4]。
武蔵野競技場線(中央本線支線)は、実質的には開通から1年しか運用されておらず、長らく休止状態にあった。廃止後は跡地の一部が遊歩道に利用されている。三鷹駅近くの玉川上水には橋台跡のコンクリートが現在も残されている。
1969年(昭和44年)
4月6日:橋上駅舎化。
4月:朝通勤ラッシュ緩和のための複々線化工事により中央・総武線(各駅停車)及び営団東西線からの直通電車が荻窪から当駅まで延長。
1987年(昭和62年)4月1日:国鉄分割民営化に伴い、東日本旅客鉄道(JR東日本)の駅となる[5]。
1992年(平成4年)7月7日:自動改札機を設置し、使用を開始する[6]。
1993年(平成5年):三鷹駅南口広場第1期工事(前年着工)及び三鷹駅南口駅前再開発地区第六ブロック協同ビル(ネオシティ三鷹・1991年着工)竣工。
1999年(平成11年):三鷹駅南口駅前再開発地区第七ブロック協同ビル(クレッセント三鷹・1997年着工)及び三鷹ロンロン(前年着工[新聞 1]、現・アトレヴィ三鷹)竣工。
2001年(平成13年)11月18日:ICカード「Suica」の利用が可能となる[報道 1]。
2006年(平成18年):三鷹駅南口広場第2期工事竣工。