三陸鉄道株式会社
Sanriku Railway Company三陸鉄道旧宮古駅駅舎(本社所在地)
種類株式会社
市場情報非上場
略称三鉄(さんてつ)
本社所在地 日本
〒027-0076
岩手県宮古市栄町4番地
.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯39度38分25.48秒 東経141度56分45.69秒 / 北緯39.6404111度 東経141.9460250度 / 39.6404111; 141.9460250
三陸鉄道株式会社(さんりくてつどう)は、岩手県の三陸海岸を縦貫する鉄道路線(リアス線)を運営する、第三セクター方式の鉄道会社である。通称は三鉄(さんてつ)。旅行業や物品販売業も行っている。 三陸沿岸を結ぶ鉄道の構想は、1896年(明治29年)に白根専一逓信大臣に提出された「三陸鉄道株式会社創立申請書」に遡る[3]。これは1896年(明治29年)の三陸地震の際に、「陸の孤島」と評される急峻な地形が支援物資の輸送を阻んだことを踏まえ、その復興策として鉄道の建設が考えられたことによる[4]。この構想は「三陸縦貫鉄道構想」へと発展し、1928年(昭和3年)11月22日に仙台駅 - 石巻駅間(宮城電気鉄道、現在の仙石線)、1930年(昭和5年)3月27日には久慈駅 - 八戸駅(現在の本八戸駅)間(八戸線)が開通した。1933年(昭和8年)の三陸地震を経て、1935年(昭和10年)9月29日に気仙沼駅 - 盛駅間(大船渡線)、1939年(昭和14年)9月17日に釜石駅 - 宮古駅間(山田線)が開通した[注 1]。この「三陸縦貫鉄道構想」は第二次世界大戦後も継続され、1957年(昭和32年)2月11日に気仙沼駅 - 本吉駅間(気仙沼線)が開通、1962年(昭和37年)には宮古駅 - 久慈駅間および盛駅 - 釜石駅間が工事線に格上げされた。そして高度経済成長期には、日本国有鉄道(国鉄)線として1968年(昭和43年)10月24日に前谷地駅 - 柳津駅間(柳津線)[注 2]、1972年(昭和47年)2月27日に宮古駅 - 田老駅間(宮古線)、1973年(昭和48年)7月1日に盛駅 - 吉浜駅間(盛線)、1975年(昭和50年)7月20日に普代駅 - 久慈駅間(久慈線)が相次いで開業した。 しかし、三陸縦貫鉄道の完成を目前にして、国鉄の財政悪化により建設が凍結された。この時点での未開業区間は、吉浜駅 - 釜石駅間15.2 kmと、田老駅 - 普代駅間32.2 kmの計2区間で、路盤は既に完成しており、レールの敷設もほぼ終了していた[4][注 3]。
歴史
開業までの経緯
三陸鉄道の設立