三重県立四日市高等学校
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三重県立四日市高等学校

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過去の名称三重県第二中学校
三重県立富田中学校
四日市市立高等女学校
三重県富洲原町立実科高等女学校
四日市市立富洲原実科高等女学校
三重県四日市高等学校
国公私立の別公立学校
設置者 三重県
設立年月日1899年明治32年)4月1日
創立記念日5月23日
共学・別学男女共学
課程全日制課程
単位制・学年制学年制
設置学科普通科
普通科国際科学コース
学科内専門コース国際科学コース
学期2学期制
学校コードD124210050070
高校コード24105K
所在地510-8510
三重県四日市市富田四丁目1番地43
外部リンク ⇒公式ウェブサイト
ウィキポータル 教育
ウィキプロジェクト 学校
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三重県立四日市高等学校(みえけんりつ よっかいちこうとうがっこう)は、三重県四日市市富田四丁目に所在する公立高等学校
概要

通称は「四高」(しこう)[1]

全日制の普通科、普通科国際科学コースとともに、2005年平成17年)度まで通信制も設置していた。1974年昭和49年)から1995年(平成7年)までは三重県立四日市南高等学校学校群制度を組んだ。

2014年(平成26年)にはスーパーグローバルハイスクール(SGH)の指定を受けた。

2018年(平成30年)にはスーパーサイエンスハイスクール(SSH)の指定を受けた。
設置学科

普通科(定員320名) - 2019年令和元年)度定員減となる。

普通コース(定員240名)

国際科学コース(定員80名)


教育方針

文武両道」をスローガンに学問と部活動の両立を目指している。教育方針は「勉学と運動の両立を目標とし個性の伸長と品性の陶冶に努め、もって我が国及び国際社会における有為で心豊かな人材を育成する」である。
進学状況

近年は[2]三重大学教育学部附属中学校からの進学者が多数を占めている。

21世紀以降は、東京大学合格者が国際科学コース在籍生徒を中心に10名前後にまで増加し、京都大学へは毎年20名前後、名古屋大学へは40名前後の進学を果たしている年度も見られる。浪人後に難関大学を受験して合格する者も見受けられる[3]
沿革

1899年明治32年)- 三重県第二尋常中学校(二中)として創立される。

1899年(明治32年) - 四日市市立四日市裁縫学校として創立される。

1901年(明治34年) - 四日市市立高等女学校(泗高女)を開校した。

1911年(明治44年) - 四高女で実科を設置して、専修科を廃止する。

1919年大正8年)- 三重県第二中学校を三重県立富田中学校(富中)と改称した。

1924年(大正13年) - 富中の初代校長の田村左衞士が退陣する。これに伴い、翌年に新校長の排斥を求めた同盟によって休校をする。

1926年(大正15年) - 三重県富洲原町立実科高等女学校(北高女)として創立される。

1942年昭和17年) - 三重県富洲原町立実科高等女学校を四日市市立富洲原実科高等女学校と改称した。

1947年(昭和22年)- 富中野球部が第19回全国選抜中等学校野球大会(現:選抜高等学校野球大会)に初出場をした。

1948年(昭和23年) - 3学校を統合して三重県四日市高等学校(四高)が創立される。通信制が開講する。

1954年(昭和29年) - 被服科が設置される。

1955年(昭和30年) - 野球部が第37回全国高等学校野球選手権大会で初出場で、初優勝をした。三重県勢の全国制覇は、夏の選手権大会ではこの1回のみである。また春の選抜大会を含めても、1969年(昭和44年)の第41回選抜大会三重高校との合計2回のみとなっている。

1967年(昭和42年) - 野球部が第49回全国高等学校野球選手権大会に12年ぶり2回目の出場した。

1969年(昭和44年) - 同窓会館が完成する。

1974年(昭和49年) - 三重県立四日市南高等学校と総合選抜制(学校群制度)が開始される。

1982年(昭和57年) - 被服科が募集を停止する。

1984年(昭和59年) - 家政科が募集を停止する。普通科のみとなる。

1986年(昭和61年) - 宿泊研修施設が開設する。

1989年平成元年) - 新体育館が落成する。

1994年(平成6年) - 普通科に国際科学コースが設置される。

1995年(平成7年) - 三重県立四日市南高等学校と総合選抜制を廃止する。

1999年(平成11年) - 創立100周年を迎える。

2002年(平成14年) -完全週休二日制となる。

2003年(平成15年) - 図書館や天体観測ドームがあった建物が改修された。文部科学省より、スーパーサイエンスハイスクール(SSH)の指定を受ける。

2006年(平成18年) - 三重県立四日市北高校と同校の通信制の統合により三重県立北星高等学校が設立された。通信制の募集が停止される。

2009年(平成21年) - 創立110周年を迎える。

2012年(平成24年)-三重県教育委員会よりMie SSH(スーパーサイエンスハイスクール)事業の指定を受ける。

2014年(平成26年) - スーパーグローバルハイスクール(SGH)の指定を受ける。

2018年(平成30年) - スーパーサイエンスハイスクール(SSH)の指定を受ける。

象徴
校歌

佐佐木信綱作詞、弘田龍太郎作曲。歌詞は三番まである。一番では伊勢の海の音を聞きながら学ぶ様子が、二番では真理を求める学生と鈴鹿の山が、三番では学生の意志と四高の目標が謳われている。
校章

八稜星と定められている。三重県第二中学校の校章の中央に記された「二中」の文字を「高」に置き換えたものである。「希望に輝く若人の多方面に発展しようとする情熱をかたどり、中央の「高」はその若人達の固く団結している学園を象徴している」としている(公式ホームページより)。
学校行事
前期

4月:入学式、始業式

5月:体育大会

6月:クラスマッチ

8月:四高祭


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