三重県立四日市商業高等学校
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三重県立四日市商業高等学校
.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯34度58分53.1秒 東経136度35分32.3秒 / 北緯34.981417度 東経136.592306度 / 34.981417; 136.592306座標: 北緯34度58分53.1秒 東経136度35分32.3秒 / 北緯34.981417度 東経136.592306度 / 34.981417; 136.592306
過去の名称三重県四日市実業高等学校
三重県四日市商業高等学校
国公私立の別公立学校
設置者三重県
設立年月日1896年明治29年)6月20日
共学・別学男女共学
課程全日制課程
設置学科商業科
情報マネジメント科
学校コードD124210050150
高校コード24111D
所在地512-0921
三重県四日市市尾平町永代寺2745
外部リンク ⇒公式ウェブサイト
ウィキポータル 教育
ウィキプロジェクト 学校
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三重県立四日市商業高等学校(みえけんりつ よっかいちしょうぎょう こうとうがっこう)は三重県四日市市尾平町に所在する公立商業高等学校
概要

通称、『泗商』(ししょう)と呼ばれる。四商と書くことが多いが、学校側では泗商と表記している。これは『泗水』に関連していると思われる[要出典]。
校風
学校の特徴

運動部が活発であることや職業系高等学校ということもあり、学区は全県下から生徒が通っている。商業科の定員が1学年200人、情報処理科の定員は1学年40人。かつては商業科315人、情報処理科90人という時代もあった。商業高校という性質上、男子生徒が極端に少なく現在の割合は5%ほどである。

職業高校という性質上挨拶を励行しており、来客として訪れると移動教室など生徒の通行の多い時に廊下を歩くと挨拶の嵐に見舞われる。加えて厳しい校則があり毎月頭髪・服装検査がある。粗漏があれば処罰される。アルバイトは原則として長期休暇中のみ届けを出して許可される。

基本的に部活動が活発だが「文武両道」を基本としていたため、私立学校と違い資格試験に合格しないと進級できない危険性もあった。

国家資格の基本情報技術者試験(FE)の午前科目免除制度の認定校となっている[1][2]
制服

2023年から制服が変更され、男女とも茶色のブレザー(ネクタイまたはリボン)にズボンまたはスカート(ジェンダーフリーに対応し、男女の指定はない)となる。夏服はポロシャツ。以前女子はボレロジャンパースカートの組み合わせといった、伝統の茶色の制服。ブラウスにはリボンがついている。夏服は半袖のベージュのリボンタイ一体型(リボンタイには茶色の2本線)のブラウスに茶色のプリーツスカート、冬服は長袖の同じくベージュのリボンタイ一体型のブラウスに茶色のボタン型カフスにプリーツのジャンパースカート、ボレロ形のジャケット。

男子は普通の学生服タイプ。かつては学習院高等科のようにファスナーのような学生服だったが、1990年ごろに何の変哲もない学生服に変わった。
沿革

1896年明治29年)- 第2代四日市市長の井島茂作などによって設立された四日市商業高校(私立)が四日市町の南町に於いて開校する。町立四日市商業学校が 四日市町の浜一色に於いて開校する。

1897年(明治30年 - 市立四日市商業学校(市政実施)となる。

1904年(明治37年)- 三重県立四日市商業学校(県立として移管)となる。

1908年(明治41年) - 浜一色校舎が新築落成をする。校章を制定する。

1929年昭和4年)- 校歌を制定する。作詞:三谷為三(本校教諭)・作曲中山晋平。

1944年(昭和19年)- 運動場16,922平方米を拡張(同窓会寄付)する。

1945年(昭和20年)- 戦火により校舎が焼失する。

1946年(昭和21年)- 塩浜元海軍燃料廠庁舎跡へ移転をする。

1948年(昭和23年)- 三重県四日市実業高等学校(学制改革)となる。浜田へ移転をする。定時制を設置する。

1949年(昭和24年) - 三重県四日市高等学校(総合制実施)となる。全日制富田校舎へ移転をする。

1950年(昭和25年) - 三重県四日市商業高等学校(県立の単独商業高校)となる。塩浜校舎へ復帰する。全日制に貿易科を併置する。定時制に商業科、普通科を設置する。

1955年(昭和30年)- 三重県立四日市商業高等学校と改称をする。

1960年(昭和35年) - 四日市市尾平町に校舎移転予定地の51,572平方米(財団法人泗商学園会より寄付)を受ける。

1961年(昭和36年) - 全日制貿易科を廃止する。

1963年(昭和38年) - 四日市市尾平町永代寺に新校舎竣工により全日制を移転する。本館,体育館の竣工式を挙行する。

1967年(昭和42年) - 定時制課程は三重県立四日市北高等学校として独立をする。文部省高等学校教育課程の研究指定校(2年間)となる。

1969年(昭和44年)- 武道館を竣工する。

1972年(昭和47年) - 特別教室棟(第一期分)の1,035平方米を竣工する。情報処理科を設置する。

1973年(昭和48年) - 特別教室棟(第二期分)の1,828平方米を竣工する。

1975年(昭和50年)- 運動部室の184平方米を竣工する。

1979年(昭和54年)- 文部省高等学校教育課程の研究指定校(2年間)となる。


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