三重県立上野等学校
.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯34度46分7秒 東経136度7分36.1秒 / 北緯34.76861度 東経136.126694度 / 34.76861; 136.126694
三重県立上野高等学校(みえけんりつ うえのこうとうがっこう)は、三重県伊賀市上野丸之内にある公立高等学校。略称は「上高」(うえこう)。 校訓は「自彊不息(たゆまぬ努力を続けるの意)」。校歌は山口誓子の作詞。また、現在上野高校で使用されているチャイムは、1982年から使用されるようになった。1999年に創立100周年を迎えた。長らく普通科のみの設置であったが、2009年に理数科が設置されている。 上野高校を象徴する白亜の明治校舎は1900年(明治33年)に建築、1989年(平成元年)に三重県指定有形文化財に指定された[1]。この他、横光利一記念館がある。NHKの朝ドラ『なっちゃんの写真館』では、主人公がテニスをするシーンで明治校舎前のテニスコートが使用された。
概要
マスコットキャラクターとして「ぶんぶん」が制作・制定されている。文武両道の意である。 大半の生徒が大学へ進学しており、進学先として国公立大学は、地元の三重大学が多いが、難関国立大(いわゆる旧帝大)の大阪大学、名古屋大学などにも毎年数名が進学する。過去には東京大学や京都大学といった最難関大学へも毎年数名の合格者を出していたが、近年は伊賀地域の優秀層が四日市高校や津高校へ流出するようになったことで、数年に一度の輩出に留まっている。私立大学では関関同立や産近甲龍など京阪神方面が多いが、関東の慶應義塾大学や早稲田大学への進学者も毎年数名出している。 前身は三重県立第三中学校であり、第一中学校が前身の津高校、第二中学校が前身の四日市高校、第四中学校が前身の宇治山田高校とは兄弟のような関係である。戦後の学制改革により、阿山高女、上野市立高女と統合され現在に至る。
進路
歴史
1899年4月1日 - 三重県第三尋常中学校として開校。
1919年8月4日 - 三重県立上野中学校に改称。
1948年5月23日 - 学制改革により、三重県立阿山高等女学校と統合、三重県上野北高等学校となる。
1949年4月1日 - 学区制実施により、三重県上野南高等学校(旧上野市立高等女学校、旧上野市立農学校、旧三重県上野工業学校)と統合、三重県上野高等学校となる。
1951年3月31日 - 南校舎が三重県上野商工高等学校(のちの上野工業高校と上野商業高校)として分離独立。
1955年4月1日 - 三重県立上野高等学校に改称。
1956年4月1日 - 花之木分校が募集停止。
1964年4月1日 - 家庭科が募集停止、上野商業高校に統合される。
1967年4月1日 - 大山田分校が募集停止。
1968年4月1日 - 春日分校が伊賀高校として分離独立。
1972年4月1日 - 河合分校が募集停止。