三重スリーアローズ
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三重スリーアローズ
会社名株式会社三重ベースボールサポート
創設
2009年
解散2011年
所属リーグ



ジャパン・フューチャーベースボールリーグ(2010年)

四国アイランドリーグplus(2011年)

歴代チーム名



三重スリーアローズ(2009年 - 2011年)

本拠地
津球場公園内野球場
収容人員8,420人
三重県(2010年 - 2011年)
永久欠番
なし
獲得タイトル
(0回)
リーグ年間優勝(1回)
2010
(0回)
成績(タイトル以外)
球団組織
オーナー壁矢慶一郎(解散時)
監督古屋剛(解散時)
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三重スリーアローズ(みえスリーアローズ、Mie Three Arrows)は、2009年から2011年まで存在していたプロ野球独立リーグのチーム。三重県を本拠地としていた。略称は三重TA。2010年ジャパン・フューチャーベースボールリーグ(JFBL)、2011年四国アイランドリーグplusに所属していた。
概要

球団名は三重県の「三」に由来する「スリー」に、三重県の形に由来する「アロー」(関西方面に向かってを放つように見えるという理由)を組み合わせたもので、「『地域の活性化』『青少年の健全育成』『優勝』の3つの目標に向かって、矢のように一直線に進む」との含意もあったという[1]

運営母体は三重ベースボールサポート。本拠地は津球場公園内野球場。このほか、伊勢市倉田山公園野球場四日市市営霞ヶ浦第一野球場で試合を開催した(霞ヶ浦第一野球場は2010年のみ)。
成績
シーズン

金地は優勝。

JFBL年度期監督順位試合勝利敗戦引分勝率ゲーム差
2010-松岡弘→
藤波行雄15422275.449-

四国IL年度期監督順位試合勝利敗戦引分勝率ゲーム差打率防御率本塁打
2011前長冨浩志→
古屋剛5328222.26714.0.2375.1330
後古屋剛5329194.32110.0

定期交流戦・ソフトバンク杯(IL)

2011年 - 3位(1勝6敗1分)
福岡ソフトバンクホークス3軍との定期交流戦であり、ソフトバンク3軍戦のみで最も高い勝率をあげたチームが優勝となる。
歴史.mw-parser-output .side-box{margin:4px 0;box-sizing:border-box;border:1px solid #aaa;font-size:88%;line-height:1.25em;background-color:#f9f9f9;display:flow-root}.mw-parser-output .side-box-abovebelow,.mw-parser-output .side-box-text{padding:0.25em 0.9em}.mw-parser-output .side-box-image{padding:2px 0 2px 0.9em;text-align:center}.mw-parser-output .side-box-imageright{padding:2px 0.9em 2px 0;text-align:center}@media(min-width:500px){.mw-parser-output .side-box-flex{display:flex;align-items:center}.mw-parser-output .side-box-text{flex:1}}@media(min-width:720px){.mw-parser-output .side-box{width:238px}.mw-parser-output .side-box-right{clear:right;float:right;margin-left:1em}.mw-parser-output .side-box-left{margin-right:1em}}ウィキニュースに関連記事があります。

野球 関西独立リーグ・三重チームが参入を撤回へ


関西独立リーグへの加盟と脱退
2008年に設立構想を発表し、2009年より本格的に活動を開始する。代表は壁矢慶一郎。発足当初は関西独立リーグに加盟し、2010年度からリーグ戦に参入する予定であったが[2]、2009年10月に脱退を決定[3]
ジャパン・フューチャーベースボールリーグの結成と休止
独自の独立リーグを結成する[4]。10月13日に新リーグの名称を「ジャパン・フューチャーリーグ」と発表。同年12月1日に「ジャパン・フューチャーベースボールリーグ」に改称した。リーグ代表には三重の代表と兼務で壁矢が就任。2010年4月3日に初の公式戦、JFBL開幕戦で大阪ゴールドビリケーンズと対戦し、記念すべき初勝利をあげる。9月22日にJFBL優勝を果たす。2010年9月17日、壁矢代表が、大阪ゴールドビリケーンズの経営難を理由に、JFBLの運営を今シーズン限りで休止し、来シーズンより四国・九州アイランドリーグ(現・四国アイランドリーグplus)に参入する意向を表明[5]
四国アイランドリーグplusへの加盟
2010年9月22日、正式にアイランドリーグへの加盟の申し入れを行う[6]。29日のアイランドリーグ理事会で三重から説明がなされたが[7]、当初、結論が出る予定だった10月13日の理事会では「確認すべき必要な事項に不備があった」として加盟の合意には至らず、再度確認の上で11月4日に加入が認められた[8]。加盟決定後、長崎セインツで監督とコーチを務めていた長冨浩志古屋剛がそれぞれ監督とコーチに就任した[9]。2011年は、四国アイランドリーグplus(三重の加盟決定後にリーグ名称を変更)で公式戦をおこなう。前期は開幕から11連敗して4月の最後に初勝利を挙げたが[10]、続く5月も1引き分けの後7連敗し、5月最終戦でようやく2勝目を記録する[11]。この間、成績不振の責任を取り5月17日付で長冨監督が辞任し、古屋コーチが監督代行に就任した[12]。また5月下旬に元読売ジャイアンツ野口茂樹が入団している[13]。6月には引き分けを挟んで4連勝を記録したものの[14]、前期は他チームに大きく引き離される5位(最下位)に終わる。後期も開幕から6連敗を記録[15]。7月15日付で、香川オリーブガイナーズに所属していた前川勝彦が移籍入団した[16]。その後は高知ファイティングドッグスと4位を争う形となるも、前期と同じく5位に終わる。前期途中で古屋コーチが監督代行に就任したため、コーチは前原博之のみとなったが、8月末で退団し[17]、以後コーチ不在で公式戦をおこなった。
リーグ脱退から解散へ
2011年の公式戦終了後の9月24日に、2012年度はアイランドリーグの公式戦に参加せず、リーグを脱退することが発表された。報道によると、リーグ加盟金など(4000万円)の解釈や前原コーチ退任後のコーチ不在がリーグ規約に抵触する点で対立し、9月20日のリーグ理事会で2012年の参加断念を表明したという[18]。壁矢代表はリーグ加盟金・年会費・参加保証金を三重のみが支払うことに納得がいかなかったとしているが、リーグの鍵山誠CEOはこれらの金額はリーグ規約に基づくもので「規約には壁矢さんもサインしている。気に入らないから守らないというのがまかり通ると、リーグとして成り立たない」と述べている[19]。なお、四国4球団は発足時から参加しているためこれらの負担はない[20]。今後について、脱退発表当時壁矢代表は10月下旬には結論を出すと表明していたが、存続については「現状は厳しい」とも述べていた[19][20]。10月1日、アイランドリーグ事務局は、三重を退団する選手に対する救済ドラフトを非公開で10月19日に実施すると発表[21]、19日のドラフトの結果4名の選手(四国各球団より1名ずつ。うち1名は練習生)が指名を受けた[22]。10月14日、加盟申請をおこなっていた関西独立リーグから、過去に脱退したことを踏まえて加盟を拒絶されたことが報じられた[23]。10月24日に選手5人の今季限りでの任意引退、25日に19人(ほかに練習生1人)の今季限りでの退団(自由契約)をブログで発表した[24]。これにより、保留となっている1人を除いて選手は事実上チームを離れることとなった。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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