三都主アレサンドロ
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三都主 アレサンドロ

2019年11月
名前
本名アレサンドロ・ドス・サントス(帰化前の本名)[1]
愛称アレックス、アレ
カタカナサントス アレサンドロ
ラテン文字SANTOS Alessandro
ポルトガル語Alessandro dos Santos
基本情報
国籍 日本
ブラジル(二重国籍[2]
生年月日 (1977-07-20) 1977年7月20日(46歳)[1]
出身地 ブラジル マリンガ[3]
身長178cm
体重69kg
選手情報
ポジションMF / DF
利き足左足
ユース
1986-1994 グレミオ・マリンガ
1994-1996 明徳義塾高等学校
クラブ1
年クラブ出場(得点)
1997-2003 清水エスパルス 198 (56)
2004-2009 浦和レッズ 100 (11)
2007→ レッドブル・ザルツブルク (loan) 20 (1)
2009-2012 名古屋グランパス 55 (0)
2013 栃木SC 25 (2)
2014 FC岐阜 18 (2)
2015 マリンガ 4 (1)
2015 グレミオ・マリンガ
2016 PSTC 3 (0)
代表歴2
2002-2006 日本[4]82 (7)
1. 国内リーグ戦に限る。2016年10月1日現在。
2. 2006年1月15日現在。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

三都主 アレサンドロ(さんとす あれさんどろ、Santos Alessandro、1977年7月20日[1] - )は、ブラジルパラナ州マリンガ出身[3] の元サッカー選手[2]

日本代表でキャップ数82[2] は歴代6位。2001年11月12日、日本国籍に帰化[1]、現在はブラジルと二重国籍[2]。帰化前の本名はアレサンドロ・ドス・サントス(Alessandro dos Santos)、当時の登録名はアレックス(Alex)。

利き足は左。ポジションは左ウィングバック攻撃的MFとしての出場のほか、清水在籍時にはフォワード、名古屋加入以後はセンターハーフ、日本代表では左サイドバックでも出場した。

16歳のときにサッカー留学生として日本の明徳義塾高校に入学し、97年に清水に加入。99年に史上最年少の22歳でJリーグ年間最優秀選手賞を受賞した。04年に浦和レッドダイヤモンズに移籍し、07年にはオーストリアのレッドブル・ザルツブルクでプレー。08年に日本に復帰し、浦和、名古屋グランパスエイトFC岐阜栃木SCに在籍。15年にブラジルへ戻りマリンガFCグレミオ・マリンガなどでプレーした。

2001年に日本国籍取得後、2002年から2006年までサッカー日本代表に招集されて82試合出場7得点。FIFAワールドカップに2回(2002年日韓大会2006年ドイツ大会)出場、2004年アジアカップに優勝した。
来歴
生い立ち

ブラジルパラナ州マリンガ[3] で、プロサッカー選手ウイルソン・ドス・サントスの長男として生まれた[3]。10歳から父親も在籍したグレミオ・マリンガの少年チームで育ち[5]、16歳のときには既にプロデビューを果たす[6]。1993年8月[7]、留学生獲得のためブラジルを訪れていた明徳義塾高校サッカー部の北村保夫部長とジョゼ・カルロス監督に練習試合でのプレーを高く評価され、1994年6月に明徳義塾高校に入学[6]。同校には三都主を含め4名の留学生が一緒に入学した[8][6]。高校時代は一度も県予選を突破できず全国大会には無縁だった[6] ため、ほとんど無名の存在だった。ポジションはブラジル時代はディフェンダー(センターバック[6])だったが、明徳在学中に徐々に前の方へと移っていった[6]
清水エスパルス

明徳義塾高校卒業後、監督が清水エスパルスのスカウトと知り合いだったこともあり、清水の練習に練習生として参加し、契約を勝ち取る。1997年に正式加入[2]、持ち前のドリブルで左サイドのスペシャリストとして頭角を現す。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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