三遊亭円楽_(6代目)
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六代目 .mw-parser-output ruby.large{font-size:250%}.mw-parser-output ruby.large>rt,.mw-parser-output ruby.large>rtc{font-size:.3em}.mw-parser-output ruby>rt,.mw-parser-output ruby>rtc{font-feature-settings:"ruby"1}.mw-parser-output ruby.yomigana>rt{font-feature-settings:"ruby"0}三遊亭(さんゆうてい) 円楽(えんらく)
本名會 泰通(あい やすみち)
(別表記:会 泰通)
別名楽さん
立川 談次郎
黒円楽
楽太郎の円楽
生年月日
1950年2月8日
没年月日 (2022-09-30) 2022年9月30日(72歳没)
出身地 日本東京都墨田区
死没地 日本東京都
師匠五代目三遊亭圓楽
弟子三遊亭楽生
三遊亭楽京
三遊亭楽市
三遊亭楽大
三遊亭一太郎
三遊亭楽天
三遊亭楽八
三遊亭楽?
三遊亭楽花山
三遊亭楽太伊集院光
ニックス
名跡1. 三遊亭楽太郎
(1970年 - 2010年)
2. 六代目三遊亭円楽
(2010年 - 2022年)
出囃子元禄花見踊
活動期間1970年 - 2022年
活動内容古典落語
配偶者あり
家族会一太郎(長男)
所属落語家として
落語協会
(1970年 - 1978年)
落語三遊協会
(1978年 - 1980年)
大日本落語すみれ会
→落語圓楽党
→落語ベアーズ
圓楽一門会
五代目圓楽一門会
(1980年 - 2022年)
落語立川流Bコース
(1990年頃)
落語芸術協会[注 1]
(2017年 - 2022年)マネージメント
星企画
(1970年 - 2010年)
オフィスまめかな
(2010年 - 2022年)
公式サイト六代目 三遊亭円楽
受賞歴
放送演芸大賞最優秀ホープ賞(1979年)
若手落語家努力賞(1981年)
備考
五代目圓楽一門会幹事長
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六代目 三遊亭 円楽(さんゆうてい えんらく、1950年昭和25年〉2月8日 - 2022年令和4年〉9月30日[1])は、日本の落語家俳優

出囃子は『元禄花見踊』。五代目圓楽一門会所属で、幹事長を務めた。2017年6月27日から、客員として落語芸術協会に加入[2]し、2つの噺家団体で活動していた。マネジメントはオフィスまめかな。長男は落語家・声優会一太郎(落語家としての名称は三遊亭 一太郎)。また、前名である三遊亭 楽太郎(さんゆうてい らくたろう)の名前でも知られている。
経歴

東京都墨田区出身。墨田区立両国中学校東京都立深川高等学校青山学院大学法学部卒業。

1970年4月の青山学院大学在学中、五代目三遊亭圓楽の鞄持ちのアルバイトに志願。付き人を経てスカウトされ入門し、大師匠六代目三遊亭圓生の命名により「楽太郎」を名乗る[3]。圓楽の「楽」に長男を意味する「太郎」で楽太郎となった。当時圓楽一門には兄弟子の楽松がいたが、楽松については六代目圓生の本名「松尾」の「松」を与えたとされている。他の名前の候補には『道楽』、『楽々』、『楽がん』などがあった。大学の落語研究部に所属、同じ部には橘右橘寄席文字書家・演芸プロデューサー)がおり、後に兄弟子となる三遊亭楽松とは落研の発表会で会うなど、入門前から面識があった。1972年3月に青山学院大学法学部卒業。

1976年7月、二ツ目昇進。1977年8月28日六代目三遊亭圓窓の後任として『笑点』レギュラーとなる。五代目圓楽の降板で欠員が出ていたため、5代目が着ていた薄紫の色紋付を着用することとなった。1978年落語協会分裂騒動で師匠と共に落語協会を脱退し、落語三遊協会所属となる。1979年1月、放送演芸大賞最優秀ホープ賞受賞。

1980年に落語三遊協会が解散し、大日本すみれ会(現:五代目圓楽一門会)所属となる。1981年1月、若手落語家努力賞受賞。3月に真打昇進。

2007年より、所属するオフィスまめかなの植野佳奈との協力により「博多・天神落語まつり」のプロデュースを手がけており、東西の大物落語家なども登場する一大イベントとなっている[4]

2010年3月1日、初名の三遊亭楽太郎から師匠の名跡である六代目三遊亭圓楽を襲名した[注 2]

2016年6月10日、写真週刊誌フライデー」に40代女性と錦糸町ラブホテルへ入る様子を撮影された件で、釈明会見を開き不倫関係にあることを認めた[6]。この際、冒頭で相手との出会いや関係について自らつまびらかに語り、不倫相手・「フライデー」・妻・落語関係者・『笑点』関係者に対して謝罪と感謝の言葉を述べ、報道陣の質問にも制限をほとんど設けずすべて答えたため、「神対応」と評価された[7]。掲載直後の『笑点』の大喜利(2016年7月3日放送分)では、挨拶の前に司会の春風亭昇太からこの不倫報道を理由に問答無用で座布団を全部没収された[8]

2017年6月27日に開かれた落語芸術協会の総会において客員での加入が認められ、同日より五代目圓楽一門会と並行して落語芸術協会の落語家としても活動する[2]。これにより、落語協会脱退以来39年ぶり[注 3]に定席興行に出演できるようになった。この加入は単身での加入であり、6代目円楽門下の弟子は引き続き五代目圓楽一門会のみの所属となる。

2017年以降より、席亭の方針と円楽本人からの打診により、新宿末廣亭に圓楽一門会の出演枠ができた事を皮切りに円楽の代演・あるいはゲストとして五代目圓楽一門会所属の落語家達が落語芸術協会の番組に継続的に出演する機会が増えている。
闘病と死去

最初に入院したのは58歳の時(2008年頃)。人間ドックで大腸ポリーブがみつかり、検査したところ大腸がんと判明した。手術で全摘して10日ほどで退院したが、夏休み中で仕事に影響がなかったことからメディアには公表しなかった[9][10]

2018年9月28日、自身の所属する事務所の公式ホームページを通じて初期の肺がんであることを公表[11]。翌月の5日に手術を行い、12日に復帰した[12]

2019年5月24日から26日にかけて札幌市内の三か所のホールを会場に三遊亭円楽プロデュース「さっぽろ落語まつり」第一回開催。28名の落語家が出演、主催はテレビ北海道北海道新聞社ほか。

同年7月18日、検査で脳腫瘍が見つかり、19日、検査と治療のため3週間ほど入院することを発表した[13][14]。8月11日、病院からの一時外出という形で国立演芸場・8月中席に出演、トリを務め、高座復帰を果たす[15]。19日に退院[16]

2020年11月に開催された新型コロナウイルス感染症流行下におけるがん検診の重要性を訴えるセミナーで、2019年に肺がんが再発していたがごく初期のため薬を変えて検査数値が良くなったこと、過去に初期の大腸がんも患っていたこと、現在も毎月がん検診を受けていることなどを報道陣に明らかにした[10]

2021年6月13日、有楽町よみうりホールにおいて、弟子の伊集院光と二人会を開催(昼夜2公演)。2020年5月に伊集院のラジオ番組にゲスト出演した際に円楽が開催を持ちかけたことがきっかけとなった。伊集院としては30年ぶりの高座復帰となり、昼公演では実子の一太郎が6年ぶりに高座に立ち、夜公演では伊集院がかつて名乗っていた高座名を引き継いだ三遊亭楽大が出演した[17]

2022年1月25日脳梗塞のため入院したことを所属事務所が26日に発表[18]。2月18日、脳梗塞の治療は終了したものの更なるリハビリの継続と既往症である肺がんの経過観察・治療等の理由から退院の目処が立たず、大事をとって今年の「夏頃まで」休養することを所属事務所が発表した[19]。5月20日に退院、復帰を目指して自宅療養に戻ったことを所属事務所が発表した[20]。円楽の自宅は車椅子などで移動しやすくなるようにバリアフリーの工事も入っていたという[21]

同年7月19日、国立演芸場の8月中席(11日 - 20日)で高座復帰することが明らかにされた[22]。脳梗塞の後遺症で左半身に麻痺が残り、車椅子での移動が必要な状態であったが、復帰した際のイベントでは「まだ、死んでねえよ」とブラックジョークを発する気概を見せた[23]。8月11日、国立演芸場の8月中席(落語芸術協会主催)で高座復帰し『猫の皿』を披露[24]、同日の取材では、高次脳機能障害として短期記憶障害があることを明らかにした[25]。同席には4日間出演し、同月20日の千秋楽に出演した際は車椅子でハンドマイクを使っており、声もかすれ気味で「この2?3日ゼイゼイ、ヒイヒイいってる。肺炎ではないが、肺に水がたまっている」と話していた。この20日の高座(演目:『目薬』)が結果として公の場で見せた最後の姿となった[26]

同年8月26日、息苦しさを感じて主治医による検査を受けたところ、軽度の肺炎を発症していたため入院[27][28]。数週間の入院の見通しであることから8月30日に予定されていた「三遊亭円楽独演会」の中止を発表した[27][28]

同年9月30日午前9時28分、肺がんのため東京都内の病院で死去[1][29][30]


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