三輪 桓一郎(みわ かんいちろう、1861年4月21日(文久元年3月12日) - 1920年(大正9年)2月1日)は、理学博士。東京物理学講習所(後の東京物理学校、現在の東京理科大学)の創立者の一人である。
経歴
1861年4月21日(文久元年3月12日) - 武蔵国豊島郡江戸に生まれる。外務省でフランス人などからフランス語を履修、東京開成学校の仏語の学生を経て東京大学仏語物理学科に編入。
1880年(明治13年)7月 - 東京大学仏語物理学科第3期卒業。
1881年(明治14年) - 東京物理学講習所の設立者の一人となる。東京大学御用係となり、同大学理学部数学教室で微分学および積分学を教える。
1885年(明治18年) - 東京物理学校維持同盟員となる。
1894年(明治27年) - 東京物理学校の幹事となる。
1914年(大正3年)8月 - 東京物理学校主事となる。上記のほか、東京大学助教授、学習院大学教授、京都大学教授を勤める。
墓標は、谷中霊園内の寛永寺霊園に所在。
著書等
三輪桓一郎著、『中等物理教科書』、金港堂書籍、1896年(明治29年)3月
三輪桓一郎著、文部省検定済『幾何学教科書』(平面・立体)、金港堂書籍、1903年(明治36年)2月28日
岸高丈夫著、三輪桓一郎校閲、『物理實驗教科書』、金港堂書籍 、1908年(明治41年)5月
三輪桓一郎著、『新撰幾何学教科書』、金港堂書籍、1914年(大正3年)
外部リンク
⇒幾何学教科書
墓標 - ウェイバックマシン
典拠管理データベース
全般
ISNI
VIAF
国立図書館
日本