この項目では、日本の百貨店について説明しています。三越(さんえつ)と呼ばれる日本の地域名については「越国」をご覧ください。
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株式会社三越
Mitsukoshi, Limited
日本橋室町の本店本館(国の重要文化財:2018年撮影)
種類株式会社
市場情報東証1部 2779
三越(みつこし、英: Mitsukoshi)は、三越伊勢丹ホールディングス傘下の三越伊勢丹が運営する呉服店を起源とする日本の老舗百貨店である。戦前の三井財閥及び、現在三井グループの源流。
また、株式会社三越(英: Mitsukoshi, Limited)は、2011年3月31日までこれを運営していた会社である。 商号の「三越」は、三井財閥の創業者である三井家の「三井」と創業時の日本橋の呉服店「越後屋」からとったもので、1904年に「合名会社三井呉服店」から「株式会社三越呉服店」へ改称した際からのものである。三越日本橋本店は日本の百貨店の始まりとされる。1935年に竣工した日本橋本店の本館は、国の重要文化財に指定されている[1][2]。現在の同店のキャッチフレーズは、「飾る日も 飾らない日も 三越と」「This is Japan」。 江戸時代の1673年(延宝元年)に江戸本町一丁目14(後の駿河町、現・東京都中央区日本橋室町の一部)において、「店前現銀売り(たなさきげんきんうり)」や「現銀掛値無し(げんきんかけねなし)」「小裂何程にても売ります(切り売り)」など、当時では画期的な商法を次々と打ち出して名をはせた、呉服店の「越後屋」(ゑちごや)として創業[3]。現在では当たり前になっている正札販売を世界で初めて実現し、当時富裕層だけのものだった呉服を、ひろく一般市民のものにした。1928年には「株式会社三越」となった。店舗入り口にあるライオン像が特徴的。 「三越」改称の案内の際に「デパートメントストア宣言」を行い、そのことを以て日本での百貨店の歴史が始まりとすることが多い[4](実際の百貨店化の動きなどの日本の百貨店の始まりについての詳細は日本の百貨店の歴史参照)。また三井財閥(現三井グループ)のルーツとなった「越後屋」の呉服店事業を引継いだため、「三井財閥(現三井グループ)の礎を築いた企業である」とされることも多いが、企業としての三越としてみるならば、三井の事業から呉服店部門のみを「合名会社三井呉服店」として分離したのが始まりである。 直営店は東京都心にある日本橋本店・銀座店の2店舗のみである。名古屋三越や福岡三越などは三越伊勢丹ホールディングス傘下の地域子会社が、地区ごとに運営を行っている。2003年9月1日に、当時の「株式会社三越」とその子会社である「株式会社名古屋三越」「株式会社千葉三越」「株式会社鹿児島三越」「株式会社福岡三越」の百貨店5社が新設合併し、新「株式会社三越」が設立された。2010年に伊勢丹傘下だった岩田屋と福岡三越(いずれも福岡市)が合併し、「株式会社岩田屋三越」が誕生した。残った店舗については、2011年4月1日に伊勢丹と合併して発足した「株式会社三越伊勢丹」の運営となった。また、同日には、札幌丸井今井と札幌三越の両社も統合し(存続会社は札幌丸井今井)、「株式会社札幌丸井三越」が発足している。 1970年代には小売業で売上高日本一の地位であったが、売上高営業利益率はグループ連結で1.09 %、百貨店事業単独で0.799 %と百貨店業界の中でも不振が続いていたため、2008年9月に百貨店4店舗・小売店2店舗の閉鎖を発表し、店舗の整理を始めた。また、経営統合後の再編方針により、2010年4月1日付で関東以外の店舗を分離した。最終的には同じく老舗百貨店の伊勢丹に救済されることとなり、2008年4月1日に「三越伊勢丹ホールディングス」を設立して伊勢丹と経営統合した。株式交換比率は伊勢丹株1に対し三越株0.34である。三越と伊勢丹の経営統合は、三越の長期低迷に危機感を持っていた三井住友銀行が三菱東京UFJ銀行(現・三菱UFJ銀行)を通じて伊勢丹側に持ちかけたとされる。「三越呉服店」発祥は延宝元年(1673年)、伊勢松坂の商人三井高利(1622 - 1694)が、日本橋に開いた呉服店越後屋。大衆相手の店たな前さき売りの商法で繁盛し、江戸時代最大の呉服商といわれた。明治37年(1904年)、株式会社三越呉服店となった。「三越呉服店」の朱印の一部と、広報誌『時好』(4巻4号 1906年4月刊)の表紙の一部が書き写されている。 ? 清水晴風著『東京名物百人一首』明治40年8月「三越呉服店」より抜粋[5]
概要
沿革.mw-parser-output .thumbinner{display:flex;flex-direction:column}.mw-parser-output .trow{display:flex;flex-direction:row;clear:left;flex-wrap:wrap;width:100%;box-sizing:border-box}.mw-parser-output .tsingle{margin:1px;float:left}.mw-parser-output .theader{clear:both;font-weight:bold;text-align:center;align-self:center;background-color:transparent;width:100%}.mw-parser-output .thumbcaption{background-color:transparent}.mw-parser-output .text-align-left{text-align:left}.mw-parser-output .text-align-right{text-align:right}.mw-parser-output .text-align-center{text-align:center}@media all and (max-width:720px){.mw-parser-output .thumbinner{width:100%!important;box-sizing:border-box;max-width:none!important;align-items:center}.mw-parser-output .trow{justify-content:center}.mw-parser-output .tsingle{float:none!important;max-width:100%!important;box-sizing:border-box;align-items:center}.mw-parser-output .trow>.thumbcaption{text-align:center}}ゑちご屋チラシ越後屋 復元看板