三越映画劇場
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三越劇場」とは異なります。

三越映画劇場(みつこしえいがげきじょう)は、1973年昭和48年)11月三越日本橋本店の南館内に第一号館が作られ[1][2][3][4]、以降チェーン化され、全国複数の三越店舗に建設されたミニシアター[1][2][3][5]
概要

小規模ながら豪華な座席に深紅のカーペットを敷き、洋画邦画の名作を上映する名画座の形式を執っていた[1][2][5]

順次閉館し、愛知県名古屋市千種区星が丘元町名古屋三越星ヶ丘店(星ヶ丘三越)のみ存続している[5]後述)。
歴史

1973年(昭和48年)当時の岡田茂三越社長と岡田茂東映社長が同姓同名で仲がよく[1][6][7][8]、「ミニ・シアター・システム」の構想を持っていた岡田東映社長が[9]、デパートの中で名画を上映する映画館という、デパート内のミニシアター名画座というアイデアを三越岡田社長に提案し[1]、文化事業に意欲的だった三越岡田社長がこれを採用[1]。1973年11月に三越日本橋本店の南館を建設した際に、同館内4階に第一号館を作り[10]、以降チェーン化し、新潟三越など[11]、全国複数の三越店舗内に建設した[1][2][4]。東映は系列の東映芸能1972年(昭和47年)から「仮面ライダー・ショウ」を全国巡回公演し[12]、児童向け実演もの、と当時は呼ばれた催事イベントを手掛け始め[12]、第二弾が「母と子の東映名作劇場」で、一年間の全国巡回公演の旗揚げ公演(実演)を1973年(昭和48年)8月に三越劇場で行っており[12]、三越と付き合いを持っていた。当時、ミニ映画館(ミニシアター)はアメリカで発展しており[2]、日本でもレジャー産業の一つとして注目されていた[2]。計画段階では「三越ミニ劇場」という名称で[1]、新鋭機器を導入して省力化を図り従業員を数人とし入場料は500円[2]。洋画あるいは邦画の名作を1日5、6回上映し[2]、大型駐車場を設けて、顧客は車で来店し、ショッピングと映画を楽しめるとしていた[2]。また名作を上映して地域社会の文化向上を図り、映画館を店舗に併設することで相互に顧客吸引力を強める効果が期待された[2]

日本橋本店の第一号館は、床面積200平方メートルに豪華な47座席を備えた[2][4][13]。三越岡田社長は東宝映画取締役でもあり、岡田東映社長とは演劇面で提携していて仲もよく[2][8]、番組制作は東映と提携して行ったため[8]、東宝と東映作品の上映は確約されるが、それ以外の映画各社から配給を受けられるかが、ミニ映画館の成否のカギと見られた[2]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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