三豊百貨店崩壊事故
[Wikipedia|▼Menu]
.mw-parser-output .ambox{border:1px solid #a2a9b1;border-left:10px solid #36c;background-color:#fbfbfb;box-sizing:border-box}.mw-parser-output .ambox+link+.ambox,.mw-parser-output .ambox+link+style+.ambox,.mw-parser-output .ambox+link+link+.ambox,.mw-parser-output .ambox+.mw-empty-elt+link+.ambox,.mw-parser-output .ambox+.mw-empty-elt+link+style+.ambox,.mw-parser-output .ambox+.mw-empty-elt+link+link+.ambox{margin-top:-1px}html body.mediawiki .mw-parser-output .ambox.mbox-small-left{margin:4px 1em 4px 0;overflow:hidden;width:238px;border-collapse:collapse;font-size:88%;line-height:1.25em}.mw-parser-output .ambox-speedy{border-left:10px solid #b32424;background-color:#fee7e6}.mw-parser-output .ambox-delete{border-left:10px solid #b32424}.mw-parser-output .ambox-content{border-left:10px solid #f28500}.mw-parser-output .ambox-style{border-left:10px solid #fc3}.mw-parser-output .ambox-move{border-left:10px solid #9932cc}.mw-parser-output .ambox-protection{border-left:10px solid #a2a9b1}.mw-parser-output .ambox .mbox-text{border:none;padding:0.25em 0.5em;width:100%;font-size:90%}.mw-parser-output .ambox .mbox-image{border:none;padding:2px 0 2px 0.5em;text-align:center}.mw-parser-output .ambox .mbox-imageright{border:none;padding:2px 0.5em 2px 0;text-align:center}.mw-parser-output .ambox .mbox-empty-cell{border:none;padding:0;width:1px}.mw-parser-output .ambox .mbox-image-div{width:52px}html.client-js body.skin-minerva .mw-parser-output .mbox-text-span{margin-left:23px!important}@media(min-width:720px){.mw-parser-output .ambox{margin:0 10%}}

この記事は検証可能参考文献や出典が全く示されていないか、不十分です。出典を追加して記事の信頼性向上にご協力ください。(このテンプレートの使い方
出典検索?: "三豊百貨店" ? ニュース ・ 書籍 ・ スカラー ・ CiNii ・ J-STAGE ・ NDL ・ dlib.jp ・ ジャパンサーチ ・ TWL(2022年10月)

三豊百貨店
崩壊事故後の三豊百貨店。写真は崩壊を免れたB棟側から撮ったもので、建物は周辺部をフェンスで封鎖されている。
各種表記
ハングル:?????
漢字:三豐百貨店
発音:サンプンペックァジョム
日本語読み:さんほうひゃっかてん
2000年式
MR式
英称:Sampung Baekhwajeom
Samp'ung Paekhwaj?m
Sampoong Department Store
テンプレートを表示

三豊百貨店(サンプンひゃっかてん、朝鮮語: ?????)は、かつて大韓民国(韓国)のソウル特別市瑞草区にあった百貨店1995年に発生した三豊百貨店崩壊事故(????? ?? ??)で知られる。
概要

1989年12月1日に開店。建物は売場が大部分を占めるA棟とスポーツセンターなどが入居するB棟、そしてその間に位置するコンコースで構成されていた。当時は韓国で業界1位の売上高を誇る高級百貨店であり[1]、ソウルの富裕層を主なターゲットとしていた。

しかし建物の設計上の様々な欠陥が重なり、1995年6月29日17時57分(KST)、営業中に突然A棟が両端の一部を残して崩壊し、死者502名・行方不明者6名・負傷者937名という建物崩落事故としては当時世界最多の被害者を出す大惨事を起こした[2]

この事故により三豊百貨店は廃業に追い込まれ、現場は残ったB棟とコンコースが解体された後もしばらく空き地のままだったが、現在は高級マンション「アクロビスタ (Acrovista) 」が建てられている。

1994年10月の聖水大橋崩落事故、1995年4月の大邱上仁洞ガス爆発事故、そして同年6月に三豊百貨店崩壊事故が発生し、大規模事故が連続して起きたことが契機となり、韓国では1995年7月に災難管理法が成立した。また、聖水大橋落下事故や三豊百貨店崩壊事故を契機に、消防防災庁直属の救助部隊「中央119救助隊」が設置された。

その後、2013年バングラデシュで発生したダッカ近郊ビル崩落事故が建物崩落事故としてはこの事故を超える世界最多の被害者を出す大惨事となった。
三豊百貨店崩壊事故

三豊百貨店崩壊事故
????? ?? ??

場所 韓国ソウル特別市瑞草区
座標.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯37度29分53.35秒 東経127度0分46.43秒 / 北緯37.4981528度 東経127.0128972度 / 37.4981528; 127.0128972座標: 北緯37度29分53.35秒 東経127度0分46.43秒 / 北緯37.4981528度 東経127.0128972度 / 37.4981528; 127.0128972
日付1995年6月29日
17:57 (KST)
概要営業中の百貨店が崩壊
原因

安全性を無視した設計変更

杜撰な建設施工

崩壊予兆の軽視と営業の継続

死亡者502
負傷者937
行方不明者6
容疑百貨店幹部、前瑞草区長など計25名
賠償約4000億ウォン
テンプレートを表示

崩壊の原因
建築計画・設計段階での不正

当初この建物は、経営母体の三豊建設産業によって自社で開発したニュータウン内に立地する地上4階・地下4階建てのオフィスビル兼商店街(雑居ビル)とする設計で起工したが、建設途上で三豊側がこの建物をデパートに用途変更することを決定した。三豊は、建設者の宇成建設に変更を要求したものの、宇成側は建物の用途が大きく変更されてしまうことから設計変更を行うのは危険だとして拒否した。すると三豊側は基礎工事が終わった段階で宇成建設と結んでいた建設契約を破棄し、三豊建設産業が直接建設することになった。しかし、当時の韓国の法律では建物の用途の変更に伴う構造変更を行う際はこれに対する専門家の審査を受けなくてはならない規定となっていたが、三豊側はこれを無視して建設を続行した上、竣工時の検査すら無視していた。

これに加え、当初三豊側はこの建物を住宅地域に指定されていた地区に建設しようとして無届工事を理由に行政処分を受けていたにもかかわらず、瑞草区側に総計1,300万ウォン(約150万円)の賄賂を贈って違法に用途を変更したことも後に明らかとなった。
施工不良

この建物は本来、を使用すべきところを、荷重制限のある柱で建物を支える建築工法(フラットスラブ構造)を採用していた。当初の雑居ビルとしての使用を前提とした設計においてはこの構造でも強度上問題ないものであったが、後に三豊側が建物構造を不法に変更した際に当初の設計案にあった建物内の壁を撤去したため、結果として柱に荷重が集中し強度が低下することとなった。さらに、構造変更時にビル中央部にエスカレーターを設置し吹き抜け構造としたため荷重の不均衡が生じた上、本来なら柱を補強すべきところを補強しなかったばかりか、意匠を重視して当初の設計案では直径800mmの柱を採用する予定だったところを直径600mmに削減し、さらに内部の鉄筋の数も16本から8本に削減した。その上、このエスカレーター部分に防火シャッターを設置するため、ビル中央部の柱の4分の1が撤去されていた。この結果として、ビル自体が構造的に強度不足になった。

また、当時は大規模なニュータウンが各所で建設されたために韓国の建設業界では資材不足に陥っており、砂利セメントの配合比率が基準を満たさないようなものや、中国産の低質なセメントが用いられたような粗悪なコンクリートが使用される事例が相次いで発生していた。加えて、後述の通り当初計画より1フロア分を最上階に増やしたため、その階の建設に使用されたコンクリートだけで3,000トンもの重量増となったばかりか、87トンの冷房機器が屋上に設置されたことで、当初の計画通りの柱ですら過負荷となるほどの大きな負荷が建物全体に掛かっていた。
不適切な増築

宇成建設との契約を破棄した後、三豊側はこの建物を5階建てにすべく5階部分の増築を無許可で開始した。加えて、当初の計画では建築基準を満たすため5階部分をローラースケート場とする予定として一旦は正式な届け出を提出したが、これも後に不法にレストラン街に変更された。しかもこの店舗は韓式レストランであったため、床に直接客が座る都合上床暖房オンドル)を設置することになり、結果として床暖房の温水パイプを通し暖房の効果を上げるために、床部分だけで延べ3,000トンの大量のコンクリートが使用された。また、店内には厨房で用いる大量の機材が設置されたほか、店内の意匠としてレンガの壁や石庭などがフロア上に構築されたため実際にはさらに荷重が増加していた。

さらに、5階の上にあった屋上部分は建設途中でスラブの厚さが6cm厚から9cm厚に変更された上、当初の予定では地下に設置する予定だった重さ87トンの冷房機器を地下空間確保のために荷重を評価せず屋上に設置したため過大な荷重が掛かり、建築当初から冷房機器が作動することによって建物全体に微細な振動が発生する有様であった。
冷房装置の不適切な移動

当初、前述の屋上に設置された大型冷房装置は建物の東側に設置されていた。しかしこの場所は近隣の住居のすぐ近くだったため、やがて住民から冷房装置の作動音に関する騒音苦情が寄せられるようになった。これを受けて三豊側は1993年8月にこの冷房装置を建物の西側に移動させる工事を行ったが、この際にコスト削減を理由にクレーンを使用せず、ローラーを用いて屋上を転がして機器を移動させた。この結果、ただでさえ強度が不足していたビル全体にさらに多大な負荷が掛かり、破壊が進行していった。
その他の事故原因・欠陥

このほか、以下の点が事故の原因として挙げられている。

元々この一帯はゴミ処分場として埋め立てられた土地であり、地盤が緩かった。

鉄筋の代わりに石油を詰めていた場所があった(ただし、ナショナルジオグラフィックチャンネル衝撃の瞬間』では、この点に関して言及されていない)。


次ページ
記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:30 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef