三谷幸喜
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三谷 幸喜
2014年10月17日東京都港区にて
プロフィール
誕生日 (1961-07-08) 1961年7月8日(62歳)
出身地 日本東京都世田谷区
主な作品
テレビドラマ『振り返れば奴がいる
古畑任三郎
王様のレストラン
総理と呼ばないで
今夜、宇宙の片隅で
合い言葉は勇気
HR(エイチアール)
新選組!
真田丸
誰かが、見ている
鎌倉殿の13人
映画『12人の優しい日本人
ラヂオの時間
みんなのいえ
笑の大学
THE 有頂天ホテル
ザ・マジックアワー
ステキな金縛り
清須会議
記憶にございません!
舞台『12人の優しい日本人
笑の大学
オケピ!
受賞
日本アカデミー賞
最優秀脚本賞
1998年ラヂオの時間第45回岸田國士戯曲賞
2000年オケピ!紫綬褒章
2017年第70回菊池寛賞
2022年第74回NHK放送文化賞
2023年第41回向田邦子賞
2023年鎌倉殿の13人
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三谷 幸喜(みたに こうき、1961年昭和36年〉7月8日 - )は、日本劇作家脚本家演出家映画監督俳優

劇団「東京サンシャインボーイズ」主宰。シス・カンパニー所属。身長174cm
経歴
生い立ち

東京都世田谷区出身。父が好きだった大相撲力士・大鵬幸喜(当時は大関、後に横綱に昇進)にちなんで「幸喜」(こうき)と命名。両親は九州出身で、父は福岡市中洲クラブを数店舗経営していた実業家であった。三谷自身も一時期、福岡市に居住していたことがある[1]。家は裕福であったが、父は三谷が10歳の時に亡くなった。

小学生の頃、「ビバ!チャップリン」シリーズからチャールズ・チャップリンのファンになり、スイスにあった自宅前までチャップリンに会いに行ったことがある。対面は叶わなかったが、似顔絵を秘書に手渡したところ、1か月後にサイン付きで返送されてきたという。

世田谷区立給田小学校世田谷区立烏山中学校世田谷学園高等学校を経て日本大学藝術学部演劇学科卒業。

少年時代には、「とんねるず」の木梨憲武と同じサッカークラブに所属していた。当時、木梨は2軍に所属、三谷は11軍に所属していたが最終的には13軍に降格した。
1980年代

大学在学中の1983年、劇団「東京サンシャインボーイズ」を結成。初期には「一橋壮太朗」の芸名で自ら役者も務めていた。この時期には、テレビ朝日の深夜番組『ウソップランド』で視聴者からの映像作品を募集する「チャレンジビデオコーナー」へ自ら制作した作品を投稿し、それが採用されて放送されたこともあった。また、渡辺プロダクションが立ち上げた若手お笑いタレントグループ「BIG THURSDAY」(ビッグサースデー)第1期生に作家部門で合格し参加もしていた[2]

演劇学科の3年後輩の太田光は「三谷さんは学生の頃から、すごい人気者だった。日大のヒーローだった。自分は教授とケンカしたりして演劇を諦めたから、今でも三谷さんにはコンプレックスがある」と、2006年に自らの番組『スタ☆メン』に三谷がゲストで出演した際に語ったが、三谷は後に著書で番組内の発言に対し「番組内では黙っていたが、太田の認識ほどの人気はとてもじゃないが無かった」と書いている。

劇団と並行して放送作家としても活動し、『アイ・アイゲーム』『欽ドン!』『お笑いマンガ道場』などの番組構成に携わる。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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