この記事には複数の問題があります。改善
やノートページでの議論にご協力ください。美唄鉄道線
旧東明駅に保存されている2号機(1999年撮影)
概要
現況廃止
起終点起点:美唄駅
終点:常盤台駅
駅数7駅
運営
開業1914年11月5日 (1914-11-05)
廃止1972年6月1日 (1972-6-1)
所有者三菱鉱業
路線諸元
路線総延長10.6 km (6.6 mi)
軌間1,067 mm (3 ft 6 in)
最小曲線半径200 m[1][注 1]
電化全線非電化
最急勾配25 ‰[1][注 1]
テンプレートを表示
停車場・施設・接続路線(廃止当時)
凡例
0.0美唄
国鉄:南美唄支線 -1973
南美唄 -1973
2.7東美唄信号所
3.7東明
5.7盤の沢
7.5我路
8.3美唄炭山
10.6常盤台
二ノ沢
美唄軽便鉄道・美唄町(絵はがき)三菱鉱業所・美唄炭山駅(絵はがき)
美唄鉄道線(びばいてつどうせん)は、北海道美唄市の美唄駅から三菱美唄炭鉱の事業所が存在した常盤台駅間を結んでいた三菱鉱業運営の鉄道路線である。1972年(昭和47年)に廃止された[2]。 4110形タンク機関車の活躍する路線として鉄道ファンの間で有名だった美唄鉄道は、石狩石炭株式会社(社長浅野総一郎)[3]が1906年(明治39年)に敷設免許を取得した、石炭輸送のための専用鉄道が前身である。この専用鉄道は美唄 - 沼貝(後の美唄炭山駅)間に計画され、1908年(明治41年)夏頃には路盤工事を終えていたが、諸般の事情により[4][注 2]石狩石炭は沿線の鉱区の多くを失ったことから工事は中断。さらに1911年(明治44年)の洪水で路盤や石垣の多くが流出する被害を受け、そのまま竣工期限を迎えた。 その後、石狩石炭は残った鉱区を開発するために再度専用鉄道敷設願いを提出するが、沿線の有力鉱区の所有者となった飯田延太郎や、山林や共同牧場の所有者である桜井良三他数名が、石狩石炭の占有を恐れて同区間に軽便鉄道敷設免許を申請した。このため、競願する形となった石狩石炭は新たに軽便鉄道敷設免許(軌間1067mm、蒸気動力)を申請し、1913年(大正2年)にこれを取得した[5][注 3]。これは先の専用鉄道を改良の上完成して旅客・貨物運輸に使用するもので、当初は運転管理を鉄道省(国鉄)に委託する計画であったが、開業間近になって鉄道省より7010形蒸気機関車、三等客車、貨車等の払下げを受けられたことから、自社での運転管理に変更した。
概要