三菱鉛筆
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三菱鉛筆株式会社
MITSUBISHI PENCIL COMPANY,LIMITED

本社
種類株式会社
機関設計監査役会設置会社[1]
市場情報東証プライム 7976
1962年9月28日上場
略称uni(ブランド)、三菱、菱鉛筆
本社所在地 日本
140-8537
東京都品川区東大井五丁目23番37号
設立1925年大正14年)4月17日
業種その他製品
法人番号6010701009457
事業内容鉛筆、シャープペンシル、シャープ替芯、油性・水性ボールペン、油性・水性サインペン等の筆記具、乾電池、OA用紙、ファイル等のOA関連商品、またシャープナー、セロハンテープ、筆入れ、消しゴム、修正用品等の机上用品、並びに化粧品、印章関連商品、精密機械器具、炭素材製品その他の製造及び仕入販売
代表者数原英一郎代表取締役会長)
数原滋彦(代表取締役社長)
資本金44億97百万円
売上高連結:551億80百万円
単体:401億29百万円
営業利益連結:54億93百万円
単体:23億51百万円
経常利益連結:59億88百万円
単体:34億11百万円
純利益連結:39億61百万円
単体:22億24百万円
純資産連結:918億55百万円
単体:670億47百万円
総資産連結:1,148億82百万円
単体:868億89百万円
従業員数連結:2,816名
単体:578名
決算期12月31日
会計監査人有限責任あずさ監査法人
主要株主日本カストディ銀行株式会社(信託口) 6.06%
株式会社横浜銀行 4.99%
株式会社三井住友銀行 4.33%
三井住友信託銀行株式会社 4.28%
BBH FOR MATTHEWS ASIA DIVIDEND FUND 4.11%
大同生命保険株式会社 4.01%
三菱鉛筆取引先持株会 4.00%
日本マスタートラスト信託銀行株式会社(信託口) 3.79%
あいおいニッセイ同和損害保険株式会社 3.25%
三井住友海上火災保険株式会社 3.25%
主要子会社株式会社ホビーラホビーレ 100.0%
ユニ工業株式会社 100.0%
山形三菱鉛筆精工株式会社 100.0%
ユニポリマー株式会社 100.0%
三菱鉛筆東京販売株式会社 94.5%
三菱鉛筆関西販売株式会社 100.0%
三菱鉛筆中部販売株式会社 100.0%
三菱鉛筆九州販売株式会社 71.9%
菱友トレーディング株式会社 100.0%
MITSUBISHI PENCIL KOREA SALES CO., LTD. 50.0%
三菱鉛筆商務(香港)有限公司 100.0%
MITSUBISHI PENCIL CO.U.K.LTD. 100.0%
MITSUBISHI PENCIL VIETNAM CO., LTD. 100.0%
上海新華菱文具制造有限公司 100.0%
深?新華菱文具制造有限公司 100.0%
関係する人物近藤賢二(元・眞崎大和鉛筆社長、次女が嫁いだ高島家を通じて岩崎家と姻戚関係で結ばれる)
数原三郎(元社長、近藤家及び岩崎家と間接的な姻戚関係がある)
数原洋二(元社長、三郎の次男で英一郎の父)
外部リンクwww.uniball.com
特記事項:経営指標は2020年12月期時点[2]
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三菱鉛筆株式会社(みつびしえんぴつ)は、日本文房具製造会社である。鉛筆色鉛筆シャープペンシルボールペンサインペンなどを製造・販売する。

三菱鉛筆の三菱マークは三菱財閥三菱グループ)より先に商標登録しており、三菱鉛筆は三菱グループ企業ではない[3][4](詳細は#三菱の名称及びスリーダイヤを参照)。
歴史

1887年明治20年)に、眞崎仁六が「眞崎鉛筆製造所」(まさきえんぴつせいぞうじょ)を東京市四谷区内藤新宿1(現在の新宿区内藤町)にて創業。その後、1918年(大正7年)に横浜市神奈川町(現在の横浜市神奈川区)に色鉛筆製造元である「大和鉛筆」が誕生し、両者が合併して「眞崎大和鉛筆」とした。

1901年(明治34年)に、国産初の量産型鉛筆3種類(『局用鉛筆』)を、当時の逓信省(のちの郵政省、現在の総務省日本郵政NTTグループ)への納品に成功。これを記念して1903年(明治36年)、「3種」や創業者の家紋「三鱗(みつうろこ)」などを表す意味で、赤い3つのひし形を模した「三菱」をロゴマークとして商標登録した(登録番号18865)。

1952年昭和27年)には、正式に社名を「三菱鉛筆」と変更し、現在にいたる。

1985年(昭和60年)には、これまでに培った開発力やノウハウを活かし、化粧品事業として株式会社ユニコスモを設立し、ペンタイプの化粧品を開発・販売、OEMを行っている。

日本の鉛筆製造元としてトンボ鉛筆とともに知られる大手であるが、2014年平成26年)時点では同社売上の約半数をボールペン製品が占め[5]、ボールペン製造元としてもパイロットゼブラと肩を並べる[6][7]。海外市場では北米で支持があり[8]、2010年代には海外売上が同社売上の4割強を占める[5][9]

2024年令和6年)には、ドイツの高級文房具メーカーのラミーを買収した[10][11]。 全株式を創業家(ラミー家)から取得する事で合意した[10]
三菱の名称及びスリーダイヤスリーダイヤについての詳細はスリーダイヤを参照

「三菱」の名称とスリーダイヤは、1901年に逓信省への『局用鉛筆』が納品されたことに際して、1903年に商標として登録されたものである[3]。これは三菱財閥(現在の三菱グループ)よりも10年早く登録されている[3]

2019年7月現在、三菱グループの三菱UFJ銀行が19位(1,014,772株、比率1.57パーセント)の株主である[12]

眞崎大和鉛筆(三菱鉛筆の前身)の社長を輩出した近藤家および、三菱鉛筆の現オーナー一族となっている数原家と三菱グループの岩崎家には間接的婚姻関係があるが、それ以上は発展していない(岩崎家と三菱鉛筆関係者との間の親族・姻戚関係を参照)。また、本来の創業一族・眞崎家は、岩崎家との姻戚関係もない。

三菱鉛筆は、社名が「三菱」であること、三菱グループと同一のスリーダイヤをコーポレートマークとしているため、同グループと間違われることがある。第二次世界大戦後の財閥解体時にはGHQも三菱グループ系列と混同し、商標の使用禁止を迫ったが、当時の経営陣が財閥との無関係性を主張し要求を退けた。その際の条件に「商標が『非財閥』であることを公告し、製品にも明記すること」があったため、当時の製品や広告には「非財閥」と記載されていた[13][14][15]

ローマ字表記には、ハイフンを入れてMITSU-BISHIとした商品[16]と中にハイフンを入れない商品[17]が存在している。
ブランド

1958年にロングセラーとなる高級鉛筆「uni(ユニ)」を発売する。この名称・ロゴは製品デザインに関わった秋岡芳夫らによるものである[18]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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