この項目では、ENEOSの前身企業について説明しています。現存する三菱商事系の石油販売会社については「三菱商事エネルギー」をご覧ください。
.mw-parser-output .pathnavbox{clear:both;border:1px outset #eef;padding:0.3em 0.6em;margin:0 0 0.5em 0;background-color:#eef;font-size:90%}.mw-parser-output .pathnavbox ul{list-style:none none;margin-top:0;margin-bottom:0}.mw-parser-output .pathnavbox>ul{margin:0}.mw-parser-output .pathnavbox ul li{margin:0}ENEOSホールディングス > ENEOS > 新日本石油 > 三菱石油
三菱石油株式会社
Mitsubishi Oil Co., Ltd.
埼玉県上尾市の三菱石油の店舗。1995年に制定されたカラーリング。給油機についてはENEOSへの移行期であるためENEOSのものへ変更されている。ENEOSに転換後2010年代半ばに建て替えられ現存せず。
種類株式会社
市場情報東証1部 5004
三菱石油株式会社(みつびしせきゆ、英: Mitsubishi Oil Co., Ltd.)は、かつて存在した三菱グループの石油元売企業。現在のENEOSの前身の一つ。 三菱合資会社、三菱鉱業(現・三菱マテリアル)、三菱商事の三菱財閥3社とアソシエイテッド・オイルの合弁により設立。日本の石油会社において初の外資提携であった。 アソシエイテッド・オイルは1901年にサンフランシスコで設立されており、1926年にタイド・ウォーターと合併してタイドウォーター・アソシエイテッド・オイルとなり(株主はサザン・パシフィック鉄道とスタンダード・オイル)、1936年にはタイドウォーター・アソシエイテッド・オイルと改称してゲティ・オイルの傘下となる。1956年にタイドウォーターに改称し、さらに1967年にはゲティ・オイルに買収されるが、同社は1984年にテキサコに買収された。それを契機にテキサコとソーカルの合弁会社であった、カルテックス(いずれも現在のシェブロン)と提携関係にあった日本石油と提携し、その後の合併への足がかりともなった。 スタンドの看板は、1990年代の中盤まで白地に赤いスリーダイヤの丸い看板であったが、三菱商事石油(現・三菱商事エネルギー)との混同を避けるため橙地に黄色の縦長長方形に変更された。 1999年(平成11年)4月1日に日本石油と合併し日石三菱株式会社(にっせきみつびし、略称:NMOC)となった。同社は2002年(平成14年)6月27日に新日本石油株式会社に社名を変更し(略称は新日石、英文社名は合併前の日石のものに復した)、社名から三菱の名は消えた。橙地の看板については2001年にENEOSに統一されるまで使用された[注釈 1]。 なお、三菱合資会社の岩崎小弥太と日本石油の水田政吉元社長は学寮の先輩後輩の関係にあり、岩崎は三菱石油設立に当たり水田を通じて日本石油から了解を得ていた[1]。
概要
沿革
1931年(昭和6年)
2月14日 - 三菱とアメリカ合衆国のアソシエイテッド・オイル
12月 - 川崎製油所が操業開始。
1936年(昭和11年)- 満洲国の大連に満洲石油を設立。
1952年(昭和27年)1月28日 - 株式上場。
1961年(昭和36年)5月16日 - 水島製油所が操業開始。
1968年(昭和43年)7月8日 - 東北石油株式会社を設立。
1973年(昭和48年)
4月27日 - 丸善石油(現・コスモ石油)と共同で沖縄石油基地株式会社を設立。
12月1日 - 給油所のカラーリングを赤色から“青空にくっきり映えるオレンジ色”をベースにしたものに変更(ただし、直前に発生した第一次オイルショックの影響から新設拠点は別として全面的な展開は1977年4月まで延期となったほか、1980年代の終わりごろにデザインのマイナーチェンジが行われている)[2]。
1984年(昭和59年)11月30日 - 日本石油と提携。
1992年(平成4年)3月20日 - 富士興産と共同出資で和歌山石油精製(現・ENEOS和歌山石油精製)を設立。