この項目では、セダン・ハッチバック・クーペの三菱・ミラージュについて説明しています。トールワゴンのミラージュディンゴについては「三菱・ミラージュディンゴ」をご覧ください。
ミラージュ(MIRAGE)は、三菱自動車工業が1978年3月から2002年8月まで製造・販売していたBセグメント - Cセグメントクラスの小型乗用車、および2012年4月からタイで生産・販売しているAセグメントクラスの小型乗用車[1][2]。2002年までは、初代ミラージュ誕生と共にできたカープラザのみでの販売となっていた。また、5代目までは欧州にはColt
として輸出されていた。三菱初のFF車として発売され、2002年までは三菱自動車の小型車の主力車種としてラインナップされていた。ランサーとの関係が深く、初代・2代目には派生車種としてランサーフィオーレがラインナップされ、3代目から5代目までは完全姉妹車の関係となった。2012年からはタイで生産・日本で発売されるコンパクトカーとなっており、2020年現在、日本国内でラインナップされる三菱自社生産のガソリン車では唯一の非ミニバン・トールワゴン・SUV車である。
1985年からはワンメイクレース「ミラージュカップ」が開催され、1998年の終了まで人気を博し、ミラージュ自身もモータースポーツのベース車として一定の支持を集めた[3]。自身もミラージュカップに参戦経験のある日下部保雄は、ミラージュカップをホンダ・シビックによる「シビックインターカップ」と並ぶと高く評価している[4]。
また、3代目の3ドアハッチバック仕様(C53A型)が、1995年と1996年の全日本GT選手権(JGTC)にGT300クラスからスポット参戦していた。 (ハッチバック 1978年 - 1983年,セダン 1982年 - 1983年) 三菱・ミラージュ(初代)
初代(1978年 - 1983年)
5ドアハッチバック 1600GT(前期型)
3ドアハッチバック(後期
4ドアセダン(後期型)
概要
販売期間ハッチバック:
1978年3月 - 1983年10月
セダン:
1982年2月 - 1983年10月
デザイン大島雅夫
ボディ
乗車定員5人
ボディタイプ3/5ドア ハッチバック
4ドア ノッチバックセダン
エンジン位置フロント
駆動方式前輪駆動
パワートレイン
エンジン1.2L (G11B)
1.4L (G12B)
1.6L (G32B)
変速機4速MT/4×2速MT/3速AT
サスペンション
前マクファーソンストラット式独立懸架
後トレーリングアーム式独立懸架
車両寸法
ホイールベース2,300mm(3ドア)
2,380mm(4ドア/5ドア)
全長3,790mm
全幅1,585mm
全高1,350mm
車両重量800kg
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エンジンは、横置きのSOHC・直列4気筒のガソリンエンジンのみで、排気量は1.2L(オリオン・G11B) と1.4L(オリオン・G12B)で、後に1.6L(サターン80・G32B)が追加された。また、初代のみの特徴としてチルトボンネットを採用している。マニュアルトランスミッションは、スーパーシフトと呼ばれる2速の副変速機を持つことが特徴であり、主変速機と合わせ、4×2速の8速として使用できた。ミラージュは、エンジンとトランスアクスルの配置の関係から、トランスアクスルへの入力をエンジン本来の回転方向と逆転させる必要があり、副変速機は、そのために設けられたギアを利用している。サスペンションは、フロントはマクファーソンストラット、リアはミラージュ独自のトレーリング式U字型サスペンションと呼ばれるトレーリングアーム式の4輪独立懸架を採用した。スプリングは、前後ともコイルスプリングを用いる。
エクステリアは張りのある曲面で構成したシンプルでクリーンなスタイリングで、ボディ表面の凹凸を極力無くしたフラッシュサーフェス [1]
処理を当時の大衆車としては世界でもいち早く取り入れた。また、細いピラーと広いガラス面積で近代的なイメージとしている。発表翌年の第49回ジュネーブ国際モーターショーではモスト・ビューティフル賞の3ドア部門で1位となった。[5]このデザインは米国のアートセンター・カレッジ・オブ・デザインへの留学経験を持つ社内デザイナー大島雅夫によるもので、「青いリンゴ」の若々しいイメージから発想したものと言われる。ボディカラーはイエロー、イエローグリーンなどの鮮やかな色を主体とし、当時国内で流行していたホワイトはあえて低価格車のみとした。尚、大島がデザインした3ドアハッチバックを元にして派生した5ドアハッチバックは樫沢一也、4ドアセダンは江口倫郎と青木秀敏のデザインであった。ライト類やワイパーのスイッチはレバー式ではなく、インパネの左右にスライドスイッチ式のものを配置。マイナーチェンジでロータリー式となってステアリングコラムの左右に位置が変更され、2代目まで踏襲された[補足 1]。
ミラージュの発売に合わせ新規ディーラーとしてカープラザ店が展開され[補足 2]、映画『未知との遭遇』とのタイアップや、日本テレビと組んでのアメリカンフットボールの試合である「ミラージュボウル」の開催によるプレキャンペーンを行うなど、大規模なプロモーション展開を実施した。
年表
1978年3月
3ドアハッチバック車を発売。
1978年9月
5ドアハッチバック車を発売。
1979年3月
1.4Lにフルオートマチック車とミシュラン製タイヤを標準装備した1.6L 88馬力の1600GTを追加。
1980年2月
一部変更。
1980年7月
1600GTに脱着式ガラスサンルーフ装着車を追加。
1980年10月
マイナーチェンジ。フロントグリルのデザイン変更。フロントガラスが合わせガラスに変更される。
1980年11月
ミラージュボウル関連で、UCLAバージョンを発売。同校のスクールカラーにちなんだ青に黄帯のカラーリングとなる。
1982年2月
ヘッドランプが異型2灯式に変更、マイナーチェンジでミラージュUとなる。4ドアサルーン(ノッチバックセダン)を追加し、2ドアハッチバック車にクラス初のターボ仕様とした1.4Lエンジン搭載モデルを追加。1.4Lのターボエンジンは、三菱重工製のタービンを搭載して105馬力までパワーアップしており、国産ホットハッチ戦争の幕開けとなった。なお、このターボ仕様の1.4Lエンジンを搭載したミラージュ2ドアハッチバックを筆頭に、三菱が販売する自動車の殆どの車種にターボエンジン搭載車が設定され、「フルラインターボ」と宣伝されるようになる。4ドアには1.4L車に省燃費のMDエンジン(気筒休止エンジン)搭載車もあった。