三菱リコール隠し事件(みつびしリコールかくしじけん)とは、2000年(平成12年)7月6日に運輸省(現:国土交通省)の監査で発覚した三菱自動車工業(以下、三菱自工)の乗用車部門およびトラック・バス部門(通称:三菱ふそう)による、大規模なリコール隠し事件をいう。
その後、2004年(平成16年)にはトラック・バス部門のさらなるリコール隠しが発覚し、乗用車部門も再調査された。結果、国土交通省によると2000年(平成12年)時点の調査が不十分だったことが判明した。これが決定打となり、三菱自工・三菱ふそうはユーザーの信頼を失って販売台数が激減、2000年のリコール隠し以上となる従業員の退職者を続出させ、当時の筆頭株主であったダイムラー・クライスラー(現・メルセデス・ベンツ・グループAGならびステランティス、ダイムラー・トラック)から資本提携を打ち切られ、深刻な経営不振に陥ったが、三菱グループ(三菱重工業・三菱商事・三菱東京UFJ銀行〈現・三菱UFJ銀行〉)によるさまざまな救済を受け、倒産の危機を脱した。また三菱ふそうはダイムラー・クライスラー(現在は商用車部門がダイムラー・トラックとして分離された)の連結子会社になった。
企業倫理の問題として、自動車業界以外の異業種も含め、富士重工業(現・SUBARU)のリコール隠しと燃費データ書き換え、スズキの燃費不正、雪印乳業の一連の不祥事、タイレノール殺人事件(ジョンソン・エンド・ジョンソン製品への毒物混入事件)、ナショナルFF式石油暖房機事故における迅速な対応などと対比されることもある。
また、本事件を基にした池井戸潤の経済小説『空飛ぶタイヤ』も出版され、2018年には映画も上映された。 2000年(平成12年)7月18日までに、当時販売台数ベースでトヨタ自動車・日産自動車・本田技研工業に次ぐ乗用車国内シェア4位の自動車メーカーであった三菱自動車工業(三菱自工)が、1977年(昭和52年)から約23年間にわたり、10車種以上(最初の届け出だけでもランサーエボリューションを含むランサー、およびギャラン、レグナム、ディアマンテ、パジェロ、シャリオグランディスなど乗用車系で6件約45万9000台、大型・中型トラックで3件約5万5000台)、計18件約69万台にのぼるリコールにつながる重要不具合情報(クレーム)を、運輸省(現・国土交通省)へ報告せず、社内で隠蔽している事実が、同年6月12日に運輸省自動車交通局のユーザー業務室に、三菱自動車社員による匿名の内部告発による通報で発覚した。 内部告発の内容は、不正の要所を衝いており、どのように調査を進めるべきか、どこに資料や情報が隠されているか、どのように隠蔽工作を見破るべきかまで指示する具体的なものであった[1]。「品質保証部の更衣室の空きロッカーを調べよ」「本社と岡崎の情報を突合せよ」という、あまりにも具体的過ぎる情報であった[2]。 運輸省によると、三菱自工はユーザーからのクレーム情報を本社の品質保証部に10段階で集約・管理していたが、クレーム情報のうち、運輸省向け届出情報は1 - 3段階目まで「Pマーク」を、運輸省に知られたくない物など4 - 10段階に「秘匿」の意味で「Hマーク」を付けて区分し、同省の定期監査では、H区分のクレームを提示していなかった。二重管理による情報仕分けは、1977年(昭和52年)から行われ、同社が東芝に作らせた品質情報管理システム[3] を導入した1992年(平成4年)以降は、コンピュータシステムのデータベースで分類していた。 一方で、リコール制度発足から30年以上にわたり、運輸省に欠陥を届け出ずにユーザーに連絡して回収、修理する「ヤミ改修」も行われていた。リコールの案件は、「ランサーなどでエンジン関連部品のクランクシャフトのボルトに欠陥があり、エンジンが停止する」「ギャランなどで燃料タンクのキャップが壊れ燃料が漏れる」「RVRの電動スライドドアが不具合を起こす」など[4][5][6]。 一連のリコール隠しにより欠陥車を放置した結果、同年6月には熊本市内で、ブレーキの欠陥によりパジェロがワゴン車に追突、ワゴン車に乗っていた2人が首に2週間の怪我をする人身事故が発生している。このリコール隠し事件の責任を取り、当時の代表取締役社長であった河添克彦が同年8月28日に引責辞任する意向を固め[7]、9月8日の正式発表[8] を経て11月1日付で辞任した[9][10]。また同年8月27日には、警視庁交通捜査課などが道路運送車両法違反の疑いで、三菱自工本社や岡崎工場(愛知県)など5ヵ所を家宅捜索した[11]。 東京地方検察庁は翌2001年4月25日、1999年の運輸省の立入検査で約1万300件の不具合情報を隠したとして、三菱自工の宇佐美隆
概要
2000年のリコール隠し事件
この時点で、国土交通省から「全ての自動車欠陥情報を開示」するよう求められたが、1997年以前の不具合情報を隠蔽し続け、クラッチやハブの欠陥対策をとらなかった[12]。
2002年3月5日、熊本県警察は前述のパジェロの事故の原因がクレーム隠蔽にあるとして、当時の三菱自工の品質技術本部・市場品質部長を担当していた社員3名を業務上過失傷害容疑で熊本地方裁判所に書類送検し[13]、熊本簡易裁判所はそれぞれに罰金50万円の略式命令を言い渡した[14]。
このリコール隠しで、三菱自工は市場の信頼を失い販売台数が急減。最高経営責任者(CEO)に、資本提携先のダイムラー・クライスラーからロルフ・エクロートを迎え入れ経営再建をはかるが、2002年、大型車(ザ・グレート、スーパーグレート、エアロクイーン、エアロエース、エアロスター、エアロキングなど)のタイヤ(ホイール)脱落事故が発生し、構造上の欠陥と更なるリコール隠しの疑念が濃厚となる。 2003年(平成15年)、三菱自工はトラック・バス部門を子会社の三菱ふそうトラック・バスとして分社化した。しかし2004年(平成16年)、前回のリコール隠しを更に上回る74万台ものリコール隠しが発覚した。同年4月22日、三菱自工の筆頭株主であったダイムラー・クライスラーが財政支援の打ち切りを発表。三菱自工の社長に就任していたエクロートが任期を待たずして、4月26日限りで社長を辞任した。 同年5月6日、大型トレーラーのタイヤ脱落事故(後述)で、三菱ふそう前会長の宇佐美や元常務ら7人が神奈川県警察に逮捕され[15]、同月27日に横浜区検察庁・横浜地方検察庁は宇佐美ら5人と法人としての三菱自工を起訴した[16]。
2004年のリコール隠し事件