この項目では、埼玉県にある町について説明しています。愛媛県にあった町については「三芳町 (愛媛県)」をご覧ください。
徳島県にあった町「三好町」とは異なります。
みよしまち
三芳町旗三芳町章
国 日本
地方関東地方
都道府県埼玉県
郡入間郡
市町村コード11324-7
法人番号6000020113247
面積15.33km2
総人口37,630人 [編集]
(推計人口、2024年4月1日)
人口密度2,455人/km2
隣接自治体富士見市、所沢市、川越市、志木市、新座市、ふじみ野市
町の木ケヤキ
町の花キク
町の鳥ヒバリ
三芳町役場
町長[編集]林伊佐雄
所在地〒354-8555
埼玉県入間郡三芳町藤久保1100-1
.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯35度49分42秒 東経139度31分35秒 / 北緯35.82839度 東経139.52647度 / 35.82839; 139.52647 (三芳町)座標: 北緯35度49分42秒 東経139度31分35秒 / 北緯35.82839度 東経139.52647度 / 35.82839; 139.52647 (三芳町)
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三芳町(みよしまち)は、埼玉県の南部[1]に位置し、入間郡に属する町。
人口は約3万8千人。かつて入間郡に属していた近隣市町村が市になっているため、現在も入間郡に残っている毛呂山町や越生町とは東西に離れ、孤立した形となっている。
概要木の宮地蔵堂
町内を南北に国道254号(川越街道)及び関越自動車道が通る。町内に鉄道駅は無いが、町の東北側境界近くには東武東上本線の志木駅、柳瀬川駅、みずほ台駅、鶴瀬駅、ふじみ野駅がある。南へ行けばJR武蔵野線の新座駅や東所沢駅に、西南に向かえば西武新宿線・西武池袋線の所沢駅などに出られる。このため首都圏の住宅地(ベッドタウン)として発展している。また、財政優良度が高く、2015年度は埼玉県内で戸田市と三芳町だけが地方交付税不交付自治体であった。
埼玉県の町の中で最も南に位置し、かつ東京都に最も近い町である[2]。ベッドタウンとしての開発発展も進みつつあるが、町内には柳沢吉保公ゆかりの三富(さんとめ)開発の地である「上富地区」など農地や緑地も多く残り、川越芋の一大産地となっている。2016年度には、近隣の川越市、所沢市、ふじみ野市とともに「武蔵野の落ち葉堆肥農法」が日本農業遺産に認定されている[3]。これは当地の農民が江戸時代以降、火山灰が降り積もって痩せた土地(関東ローム層)を、落ち葉を発酵させた堆肥を加えることで徐々に肥沃な農地に変えてきたもので、土壌改良は現在も川越芋農家により続けられている[4]。
こうした立地条件や歴史を生かして、純然たる都会でも田舎でもない「トカイナカ」を標榜して、地域おこしに取り組んでいる[5][6]。 町名は、『伊勢物語』の「三芳野の里」からとられており、洪積台地の原野を「三芳野」という美称で呼んだものだという[8]。1889年(明治22年)の合併の際に三芳野村とする予定だったが、先行して他に同名の3村が埼玉県内に誕生しており、県から「多すぎる」として変更を求められ、「野」を省き三芳村とした。なお三つの三芳野村は、その後の市町村合併で廃止されている。 江戸時代は川越藩が領有していたとされている。また、江戸時代には三芳町は何もない野原で、所沢の住民が作物の収穫用に使っていた。しかしある人が「三芳町に住もう」と思い、開拓された。人が住むためには、水が手に入りにくかったことから砂川堀が作られ、柳瀬川から水を引いた。しかし三芳町は土地が高いため水は来なかった。今は砂川堀は下水として使われており、魚が泳いでいる。
地区
藤久保
住宅地となっており、中央を国道254号(川越街道)が通る。また、淑徳大学埼玉キャンパスが所在する。
竹間沢
町の東部に柳瀬川が流れており、住宅街が多い。最寄り駅は、東武東上本線柳瀬川駅またはみずほ台駅で、当地区の一部は柳瀬川駅から徒歩圏内である[7]。
みよし台
みずほ台駅前の通り沿い。最寄り駅はみずほ台駅。
北永井
印刷工場や出版社関連の工場が多く、ソバ畑が広がる。また、町唯一のキリスト教の教会がある。
上富
三富新田の一部。サツマイモが名物である。
歴史
沿革
1871年(明治4年)11月14日 (旧暦) - 浦和県、忍県及び岩槻県が合併して、埼玉県が発足する。
1889年(明治22年)4月1日 - 町村制の施行により、入間郡上富村、藤久保村、竹間沢村及び北永井村の区域をもって、入間郡三芳村が発足する。
1970年(昭和45年)11月3日 - 町制施行により、入間郡三芳町となる。
人口
三芳町と全国の年齢別人口分布(2005年)三芳町の年齢・男女別人口分布(2005年)
■紫色 ― 三芳町
■緑色 ― 日本全国■青色 ― 男性
■赤色 ― 女性
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