三線
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この項目では、楽器の三線(さんしん)について説明しています。鉄道用語の三線(さんせん)については「複々線#三線」をご覧ください。
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出典は列挙するだけでなく、脚注などを用いてどの記述の情報源であるかを明記してください。記事の信頼性向上にご協力をお願いいたします。(2016年6月)
真壁型(志多伯開鐘写し)本皮日本本土では蛇皮線(三弦子)は清楽の楽器として広まった。1894年刊『明清楽之栞』より。

三線(さんしん)は、弦楽器の一種。日本沖縄県鹿児島県奄美群島で主に用いられる。
概要

中国福建省で生まれた弦楽器三弦」を原型とする撥弦楽器である。
日本本土

戦国時代永禄年間、琉球王国を経由して日本本土に伝わり、三味線の起源の一つとなった。三線と比べて、本土の三味線は棹が長く、中国の三弦は棹の長さの割には胴が小さい。またオリジナルの中国の三弦も、江戸時代に長崎に来舶した中国人がもたらした清楽(しんがく)とともに、あらためて日本本土で定着した。三味線は猫や犬の皮を使ったので、中国の三弦は日本本土では俗称で「蛇皮線」とも呼ばれた。蛇皮線は、1894年に勃発した日清戦争をきっかけに清楽が衰退したことで、日本本土では姿を消した。
南西諸島

15世紀以降、琉球王国(現在の大東諸島を除いた沖縄県および鹿児島県奄美群島)で独自に発展した。福建省からは?人三十六姓の来琉(1392年?)によりもたらされたとの見方もある。

三線は音を出す胴の部分にニシキヘビ)のを張り、胴の尻から棹の先(天部)に向けて3本のを張り渡して、弦を弾いて鳴らす。主に単音でメロディ部分を演奏する。助数詞には「本」「棹/竿(さお)」「挺/丁(ちょう)」等を用いる。

沖縄県では楽譜は「工工四(くんくんしー)」という独特の記譜法を用いる。これは、中国の三弦楽譜「工六四」(くるるんしー、と沖縄で呼ばれる)が原点とみられる。

沖縄文化(琉球文化)を象徴する存在の一つとして知られる。かつては琉球王国領内において、宮中での琉球舞踊に用いる琉球古典音楽や、士族や農民たちが歌う民謡(沖縄民謡奄美民謡)のために男性が三線を弾いた。琉球王府は、美術工芸品を製作する貝摺(かいずり)奉の下に三線職人を抱えていた[1]

今日では古典音楽や民謡の他、ポップスやクラブミュージックなど様々なジャンルで用いられ、演奏するアーティストも沖縄音楽や沖縄文化圏に留まらない。

沖縄県は近代以降移民が盛んになったため、日本本土に移り住む人やハワイ、南米のブラジルボリビアなど海外移民先の沖縄人コミュニティーを通して、琉球文化圏外にも広まった。日本の音楽界では長く注目されなかったが、第二次世界大戦前に「安里屋ユンタ」(1934年録音、歌詞は日本語標準語の「新民謡」)がラジオ放送で人気を博したり、1970年代竹中労らが沖縄音楽を紹介したりした後、1990年代の「沖縄ブーム」の到来により全国的に知られるようになった。三線を前面に押し出した楽曲として初めてのミリオンセラーはロックバンド・THE BOOMの「島唄」(1992年全国発売)である。

2018年11月に経済産業大臣指定伝統的工芸品に指定された。

沖縄以外の南西諸島にも、それぞれ独自の三線が存在する。例えば奄美群島の「奄美三線」(あまみさんしん)は、弦や撥(ばち)が沖縄三線と違うだけでなく、使用楽譜は横三つの線で番号を使う奄美独特の楽譜だったり(沖縄は工工四)、奏法もアップストロークが主で(沖縄三線はダウンストローク)左手の抑え指は中指を使わずに行う(沖縄三線は薬指を使わない)など、現地の演奏者から見ると大きな違いがある。
呼称

沖縄県では一般に「さんしん」という。奄美群島においては「三味線」「蛇皮線」「ジャミセン」という。「さんしん」という呼称については、起源である三弦との関係が指摘される。三弦は福建語でsamhian(サムヒエン)、北京官話ではs?nxian(サンシエン)と読む。山内盛彬はサンセン(三線)からサミセンへ変化していったという説を唱えている。三線の胴の太鼓部分に蛇の皮を張るため、三味線の皮を張る)と区別するために、日本本土を含めて「ジャビセン(蛇皮線)」「ジャミセン(蛇味線)」と呼ばれることも多い。ただし、この呼称は沖縄では嫌われるという[2]

小さな島が点在する南西諸島では島ごとに方言が大きく異なるため、数多くの異称がある。統一名称として「三線(サンシン)」の言葉が広く使われている。

琉球処分後の明治時代、沖縄の伝統的な地名・人名を「日本風に」2文字で表記する方法が流行した(汀志良次→汀良、古波蔵→古蔵、神里原→神原など)。三味線の「味」を同様に省略して三線という呼称になったという俗説がある[誰?]。
方言による呼称抜粋

三線(サンシン) - 沖縄本島、
奄美大島ほか[3]

三味線(シャミセン) - 沖縄本島の首里周辺、奄美大島[4]

蛇皮線(ジャビセン) - 奄美大島

蛇味線(ジャミセン)

サミシル - 徳之島の一部など[5][6]

シャミシル - 鹿児島県徳之島町亀津など[7]

サミセン - 徳之島の一部など[8]

サンシル - 沖永良部島[9]、徳之島など

サンシヌ - 与論島[10]

サンシリ - (沖縄本島金武

サミシン、シャミシン - 石垣島竹富町域など

歴史

三線は元々中国発祥で三線を琉球時代の沖縄に持って行ったところ沖縄の文化になったと言える。
起源

中国大陸の東南部(現在の福建省)の弦楽器「三弦」を直接のルーツとする。琉球王国は統一(1429年)後、中国大陸や東南アジアとの交易により多くの文物を取り入れていた。伝承では久米三十六姓帰化(14世紀末)以前にはすでに琉球に持ち込まれていたという[要出典]。15世紀後半には尚真王が士族の教養のために三弦を奨励していた。その後、日本でいう永禄年間初頭(1558年または1559年)に泉州(現在の大阪府南部)へと伝わり、日本本土の三味線の起源となった。


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