この項目では、軌間の異なる鉄道車両の運転のために軌条を3本敷設したものについて説明しています。
集電のために3本目の軌条を敷設したものについては「第三軌条方式」をご覧ください。
複線の線路にもう1本の線路を加えたもの(軌条は6本)については「複々線#三線」をご覧ください。
軌間軌間の一覧
最小軌間
15インチ381 mm(15 in)
狭軌
2フィート、600 mm597 mm
600 mm
603 mm
610 mm(1 ft 11 1⁄2 in)
(1 ft 11 5⁄8 in)
(1 ft 11 3⁄4 in)
(2 ft)
750 mm,
ボスニア,
2フィート6インチ,
800 mm750 mm
760 mm
762 mm
800 mm(2 ft 5 1⁄2 in)
(2 ft 5 15⁄16 in)
(2 ft 6 in)
(2 ft 7 1⁄2 in)
スウェーデン3フィート
900 mm
3フィート891 mm
900 mm
914 mm(2 ft11 3⁄32 in)
(2 ft 11 7⁄16)
(3 ft)
1m軌間1,000 mm(3 ft 3 3⁄8 in)
3フィート6インチ1,067 mm(3 ft 6 in)
4フィート6インチ1,372 mm(4 ft 6 in)
標準軌1,435 mm(4 ft 8 1⁄2 in)
広軌
ロシア軌間1,520 mm
1,524 mm(4 ft 11 27⁄32 in)
(5 ft)
アイルランド軌間1,600 mm(5 ft 3 in)
イベリア軌間1,668 mm(5 ft 5 21⁄32 in)
インド軌間1,676 mm(5 ft 6 in)
ブルネル軌間2,140 mm(7 ft 1⁄4 in)
軌間の差異
軌間不連続点
三線軌条(さんせんきじょう)とは、鉄道において軌間の異なる車両を運転するために、通常1対2本の軌条(レール)で敷設される線路について、片側のレールを共通として残り2本のレールをそれぞれの軌間に応じて敷設したもののこと。三線軌条は三線軌道[1]、三線軌[2]ともいう。
線路中心を合わせるために、軌条を共通とせずに4本敷設する四線軌条(しせんきじょう)とする場合もある。四線軌条は、軌間の差が小さすぎるため3本のレールの併設が困難なケースや、3種の軌間に対応するケース(Triple gauge=3階建て軌道)にも用いられる。
英語ではDual gauge(デュアルゲージ)と呼び、日本語でもデュアルゲージと称することもある[2]。目次 鉄道はモノレールや新交通システムを除いて2本のレールを組み合わせており、この2本の幅(軌間)が異なる車両が相互に乗り入れることはできない[2]。軌間が異なる車両が相互に乗り入れる場合、台車を鉄道ごとに履き替える方法(ヨーロッパ・中国 - ロシア間の鉄道など)や、可変軌間式の台車を持つ車両を用いる方法(スペイン - フランス間の鉄道など)など、車両側で対応する方法もある[2]。これらの問題を線路側で対応するのが三線軌道(あるいは四線軌道)である[2]。 各軌間の線路中心がずれ、建築限界もそれにあわせて変わるため、ホーム[3]・架線[4]・信号機・ATS/ATC位置補正地上子等の保安装置の地上子の設置位置に注意が必要な点、分岐器(ポイント)の構造が複雑になる点、降雪地帯などでは並列する軌条の間に雪が詰まる[5]、レールの摩耗が不均衡になる、レールの取得や保守のコストが上がるなどの問題がある。 この節は検証可能な参考文献や出典が全く示されていないか、不十分です。出典を追加して記事の信頼性向上にご協力ください。
1 目的
2 三線軌条の事例
2.1 日本
2.1.1 現存するもの
2.1.2 かつて存在したもの
2.2 スイス
3 四線軌条の事例
3.1 日本
3.2 北朝鮮
3.3 スイス
3.4 オーストラリア
4 脚注
5 関連項目
目的
三線軌条の事例が望まれています。
日本
出典検索?: "三線軌条"
日本での三線軌条および四線軌条は、1912年に、京都市内の京都市電と京都電気鉄道の共用区間に敷設されたのが最初と考えられる。同年4月19日に京都市が内務省から三線軌条敷設の許可を受け、同年12月25日に三線軌条の最初の区間が営業を開始した。一方、博多電気軌道(のちの西鉄福岡市内線)は貨物輸送を目的とした築港線を同年5月28日に開通させており、この路線が当初より1067mm軌間だったとすると、電車を運行していた吉塚線・循環線と重複する区間は三線軌条となっていたため、開通は京都よりも早かったことになる。
翌1913年には東海道本線の膳所駅(当時は馬場駅) - 大津駅(後の浜大津駅)間で、東海道本線(貨物線)に大津電車軌道(現在の京阪電気鉄道石山坂本線)が乗り入れるため三線軌条となった。軌道ではない鉄道が関係するものはこれが最初である。
純粋な鉄道のみのものとしては1917年に横浜線の原町田駅 - 橋本駅間で、標準軌化の実地試験として使用されたのが始まりである(日本の改軌論争も参照)。
鉄道車両工場の構内で三線軌条となっているケースもある。例えば、JR東海浜松工場には狭軌・標準軌共用の三線軌条が多い。なお、ここでは営業線上以外のものは割愛する。
三線軌条の乗越分岐器(箱根登山鉄道 風祭駅、どちらも三線で分岐、2006年廃止)
三線軌条の分岐器(小田急電鉄・箱根登山鉄道 小田原駅、片方だけ三線で分岐、2006年廃止)
三線軌条の移線器(逗子線六浦駅) 海峡線の湯の里知内信号場付近に敷設された三線軌条
現存するもの