三笑亭笑三
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三笑亭 笑三(さんしょうてい しょうざ)

プレイグラフ社『落語など』創刊号(1966年)より
本名斧田 道男
生年月日1925年10月28日
没年月日 (2018-10-24) 2018年10月24日(92歳没)
出身地 日本東京都新宿区早稲田
師匠8代目三笑亭可楽(1946年 - 1955年、1958年 - )
2代目三遊亭円歌(1951年 - 1958年)
名跡1. 三笑亭可寿美(1946年 - 1950年)
2. 3代目柳亭春楽(1950年 - 1955年)
3. 三遊亭歌風(1955年 - 1958年)
4. 三遊亭笑三(1958年 - 1961年)
5. 三笑亭笑三(1961年 - 2018年)
活動期間1946年 - 2018年
所属日本芸術協会(1946年 - 1955年)
落語協会(1955年 - 1958年)
日本芸術協会→落語芸術協会(1958年 - 2018年)
受賞歴
文部省芸術祭奨励賞(1964年)
備考
落語芸術協会相談役
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三笑亭 笑三(さんしょうてい しょうざ、1925年10月28日 - 2018年10月24日)は、東京都新宿区早稲田出身の落語家。本名、斧田 道男(おのだ みちお)。

所属は日本芸術協会より落語協会へと移籍した後、1958年2月以降は再び日本芸術協会(現:落語芸術協会)に在籍し、同協会相談役。出囃子は『並木駒形』。
目次

1 来歴

2 人物

2.1 芸名

2.2 ネタ作家として

2.3 脚本家として

2.4 趣味人として

2.5 テレビ出演

2.6 弟子


3 得意ネタ

3.1 新作落語・改作落語

3.2 古典落語


4 脚注

5 外部リンク

来歴

旧制早稲田第二高等学院在学中に学徒動員

終戦後、新作落語で一世を風靡した2代目三遊亭円歌に憧れて落語家になろうと決意する。しかし、仲介してくれた人物(人形町の芸者置屋)が紹介してくれたのは8代目三笑亭可楽(日本芸術協会所属)だったので、そのまま可楽に入門した(1946年4月)。入門時に「円歌師匠の落語『呼び出し電話』を聴いて落語家になろうと思いました」と可楽にはっきりと伝えたところ、可楽は笑いながらその無礼をも許し、「三笑亭可寿美」という名を与えた。これは、円歌の前座名「三遊亭歌寿美」にちなんだ命名であった。

1950年5月、二つ目昇進、3代目柳亭春楽を襲名。その後、可楽と日本芸術協会(当時の会長:春風亭柳橋)とのあいだでトラブルが発生し、可楽は自ら高座を休演、同協会から脱退寸前となる。笑三はそのあおりで一時期廃業をしていたが、可楽の計らいで憧れの円歌(落語協会所属)のもとに預けられ、落語協会に移籍した(1955年11月)。円歌門で与えられた名は「三遊亭歌風」。2代目三遊亭歌奴(のちの3代目三遊亭圓歌)は兄弟子にあたる。

1958年2月、可楽門および日本芸術協会に復帰、「三遊亭笑三」を名乗る。1961年4月に真打昇進し、亭号を変更して「三笑亭笑三」に改名。

1964年文部省芸術祭奨励賞を受賞。

落語芸術協会の最長老として90歳を越えて晩年まで高座に上がっており、江戸東京博物館の音声ガイドも担当していた。

2018年10月24日、93歳の誕生日を迎える4日前に肺炎のため、死去[1]。92歳没。葬儀などは近親者により執り行われ、訃報が公にされたのは12月11日になってからであった[1]
人物
芸名

「三笑亭笑三」という芸名の由来は、
回文になるからである(三遊亭遊三の命名と同じ)。そこから「上から読んでも下から読んでも『三笑亭笑三』」のキャッチフレーズで売り出す。

ネタ作家として

初代林家三平牧伸二にギャグやネタを提供していたことがある。特に盟友・三平のブレーンとして才を発揮し「おもちも入ってベタベタと、安くてどうもすいません」(「渡辺の即席しるこ」コマーシャル)などの名ギャグを多数生み出した。初代三平のギャグの「よし子さん」は笑三の妻の名前からきているといわれている。

脚本家として

テレビドラマの脚本を書いたこともある。

趣味人として

幅広い趣味人として知られる。とりわけ、映画製作や漫画・イラストに関しては「玄人はだし」。

現存する放送局所有以外での
初代林家三平の映像は、ほぼすべて、笑三が私的に撮影していたものである。落語家や芸人仲間を出演させた自主映画を何本も制作したり、寄席での仕事の傍ら、足しげくフィルムセンターでの上映に通っていた邦画通でもある。

イラストレーターとして、長年浅草演芸ホールのパンフレット表紙絵を手がけた。(?2017年6月まで)

DTPもワープロもない時代に、落語芸術協会の機関誌『寿限無』をたった一人で作成していた。著書も数冊出版している。

カメラも趣味。

かつては熱烈な日本社会党支持者で、社会新報への協力も続けていた。

テレビ出演

テレビ出演を積極的にこなした落語家のはしりでもあり、
NET(現:テレビ朝日)大正テレビ寄席』の初代司会者、テレビ東京『日曜ワイド笑』司会も務めた。

弟子

弟子を取ることはなかったが、実子や実孫が「小笑三」「笑坊」として独演会の高座で開口一番を務めたことはある。

得意ネタ

時事漫談ないし新作落語を高座でかける場合が多いが、まれに古典落語も演じる。
新作落語・改作落語

異母兄弟

呼び出し電話

社長の電話

一分線香即席噺(小咄集)

古典落語

大師の杵


てれすこ

悋気の火の玉

さんま芝居

ぞろぞろ

火事息子

脚注^ a b “三笑亭笑三さんが死去 93歳、肺炎で…学徒動員として出兵、復員後に落語家”. Sponichi ANNEX. スポーツニッポン新聞社. (2018年12月11日). https://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2018/12/11/kiji/20181211s00041000226000c.html 2018年12月11日閲覧。 

外部リンク

噺家 落語家 三笑亭笑三 - 公式サイト
- ウェイバックマシン(2014年6月20日アーカイブ分)

三笑亭笑三どっとこむ?三笑亭笑三公式ホームページ? (旧公式サイト) - ウェイバックマシン(2011年1月28日アーカイブ分)

落語芸術協会 プロフィールページ

この項目は、落語家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めていますP:舞台芸術/PJ:お笑い)。


更新日時:2019年6月15日(土)05:15
取得日時:2019/07/19 16:47


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