三神峯公園
Mikamine Park
三神峯公園 桜と花見客
分類都市公園 > 特殊公園 > 風致公園
所在地 日本宮城県仙台市太白区三神峯一丁目
座標北緯38度13分28.9秒 東経140度51分27.4秒 / 北緯38.224694度 東経140.857611度 / 38.224694; 140.857611
三神峯公園(みかみねこうえん)は、宮城県仙台市太白区の三神峯という低山にある風致公園である。仙台市南部の桜の名所として知られる。 青葉山丘陵東南の台地(三神峯
目次
1 概要
2 歴史
2.1 年表
3 三神峯遺跡
4 アクセス
5 周辺
6 脚注
7 参考文献
8 関連項目
9 外部リンク
概要
縄文時代には複数の竪穴住居が作られ、古墳時代には小さな古墳が築かれた。近代以降は仙台陸軍幼年学校、旧制の第二高等学校、東北大学に利用され、1967年に三神峯公園が設置された。 三神峯には縄文時代前期に集落があり、三神峯遺跡と呼ばれる[2]。8棟の竪穴式住居の遺構が発見されたほか、多数の縄文土器や石器が出土した[3]。弥生時代の遺物は知られないが、古墳時代に3つの小さな古墳(三神峯古墳
歴史
以後長らく三神峯は歴史にあらわれないが、近代に入って1937年(昭和12年)に、仙台陸軍幼年学校が場所を三神峯に定めて再建された。同校ははじめ今の宮城野区五輪一丁目に校舎を置いていたが、1924年(大正13年)に廃止されていた。幼年学校は、1945年(昭和20年)の7月10日にあった仙台空襲で被害を受け、敗戦で陸軍とともに廃止された[4]。
そのあとには、1945年より旧制の第二高等学校の校舎として利用された。1949年に二高が東北大学に併合されると、三神峯の校舎は東北大学の第一教養部の校地となった。続いて大学の学生寮の一つ、明善寮(学生寮)も建てられた。1958年(昭和33年)に校舎は青葉区川内へ移転。明善寮も青葉区上杉に移転した。
その後、キャンパスの跡地に仙台市が公園を設置することを決め、 1967年(昭和42年)三神峯公園が開園。設置時から現在まで、数次の発掘調査で、多数の縄文時代の遺物・遺構が見つかっている。
年表
縄文時代前期 - 大規模な集落を形成(三神峯遺跡)。
古墳時代 - 三神峯古墳。
1937年(昭和12年)
4月1日 - 仙台陸軍幼年学校設置。
7月10日 - 仙台空襲により罹災。
8月15日 - 終戦に伴い、幼年学校廃止。
(旧制)第二高等学校三神峯校舎となる。
1949年(昭和24年)
東北大学第一教養部富沢分校となる。
5月 - 明善寮建設。
1958年(昭和33年) - 教養部が川内校舎へ移転。