三畳紀
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地質時代 - 顕生代[* 1][* 2]累代代紀基底年代
Mya[* 3]
顕生代新生代第四紀2.58
新第三紀23.03
古第三紀66
中生代白亜紀145
ジュラ紀201.3
三畳紀251.902
古生代ペルム紀298.9
石炭紀358.9
デボン紀419.2
シルル紀443.8
オルドビス紀485.4
カンブリア紀541
原生代2500
太古代(始生代)4000
冥王代4600
^ 基底年代の数値では、この表と本文中の記述では、異なる出典によるため違う場合もある。
^ 基底年代の更新履歴
^ 百万年前

三畳紀(さんじょうき、Triassic period)は、現在から約2億5190万年前に始まり、約2億130万年前[1]まで続く地質時代である。トリアス紀(トリアスき)と訳すこともある。三畳紀の名は、南ドイツで発見されたこの紀の地層において、赤色の砂岩、白色の石灰岩、茶色の砂岩と堆積条件の異なる3層が重畳していたことに由来する。

中生代の最初の紀であり、ペルム紀(二畳紀)の次、ジュラ紀の前にあたる。開始および終了の時期は、研究者やその学説によって、いずれも互いに1000万年前後の年代差がみられる[注釈 1]
編年と時期区分三畳紀のアンモナイト(アメリカ合衆国ネバダ州産)エンクリヌス・リリイフォルミス(ドイツ/ムッシェルカルク層産出)

「三畳紀」の名称は冒頭に掲げた通り、二畳紀(ペルム紀)の上層に、上位より、

コイパー砂岩<Keuper(en)> ?? 上畳統

ムッシェルカルク<Muschelkalk(en)> ?? 殻灰統

ブンテル砂岩<Bunter(en)またはBuntsandstein(en)> ?? 斑砂統

の3層が重畳していることにより、ドイツの地質学者フリードリヒ・フォン・アルベルティ(en)が1834年に命名したことに由来する[2][3]

ヨーロッパにおいて、ブンテルは浅い凹地に堆積した色鮮やかな堆積物を含有する系列、ムッシェルカルクは貝類化石をともなう石灰岩系列で、コイパーは、厳しい乾燥を示す岩塩石膏の層をともなう大陸の堆積物の系列として知られてきたが、こんにちでは第4の系列としてレエティクが含まれ、三畳紀最新の地層に位置づけられている[4]

しかし、実際にはドイツ周辺の海成層は三畳紀中期に属する年代のものに限られるため、三畳紀全体を通しての編年にはアルプス山脈ヒマラヤ山脈、および北アメリカ大陸北部における海生動物の化石に富む地層も併用され、これらを標準として国際的な時期区分が設定されている[5]

前期

インドゥアン(2億5190万2000年 - 2億5120万年前)

オレネキアン(2億5120万年 - 2億4720万年前)


中期

アニシアン(2億4720万年 - 2億4200万年前)

ラディニアン(2億4200万年 - 2億3700万年前)


後期

カーニアン(2億3700万年 - 2億2700万年前)

ノーリアン(2億2700万年 - 2億850万年前)

レーティアン(2億850万年 - 2億130万年前)


概要
ペルム紀末の大量絶滅詳細は「P-T境界」を参照

古生代最後のペルム紀と中生代最初の三畳紀の境目(P-T境界)には世界的な海退があり、地球史上最大の大量絶滅があったとされる(ペルム紀末の大量絶滅)[2][注釈 2]地球内部からのスーパープルームによる火山活動シベリア台地玄武岩の形成)などにより、地球上の生物種の90パーセントないし95パーセントが絶滅したともいわれている[6]。また、古生代末には現在の南半球に相当するゴンドワナ地域に広い範囲に氷河が広がっていたことが、氷成礫層(ティライト)や氷河擦痕、氷稿粘土などの多くの痕跡によって確認されている[3]

三葉虫や方解石サンゴ、紡錘虫類などは絶滅し、それまで繁栄していた単弓類などがのレベルではほとんどが絶滅して、大きく衰退した[7]軟体動物では、さまざまな二枚貝が死滅し、ゴニアタイトが絶滅するなどアンモナイト類を含む巻貝も大きな打撃を受け、腕足類もまたスピリファをのぞくすべてが滅んだ[4][7]棘皮動物においても同様の傾向がみられ、海生生物の多様性は著しく損なわれた[2][7]
三畳紀の自然環境

古生代末、ほとんど全ての大陸が合体し、三畳紀には北極から南極に至るパンゲア大陸と呼ばれる超大陸が形成された[2]。また、山地をくずして内陸部に広大な平野をつくる陸地の平原化現象がおおいに進行した。内陸部の平野には乾燥気候の影響で砂漠化の進行がいちじるしく、赤色のが堆積していった[8]。砂漠のところどころにはオアシスが点在した[8]

パンゲア大陸の周囲には、パンサラッサと称されるひとつながりの巨大な海洋と、大陸の東側にはテチス海と呼ばれる湾状の海が広がり、一部は珊瑚礁となっていた。

古生代終期に寒冷化した気候も、三畳紀を通じて気温は徐々に上昇していったものと推定される。ペルム紀に30パーセントほどあった酸素濃度も10パーセント程度まで低下し、ジュラ紀頃までの約1億年間、低酸素状態が続いた。

三畳紀は、広大な大テチス地向斜の発展がみられた時期と考えられている[4]。この地向斜から、2億もの年月を経たのち、アルプス・ヒマラヤ造山帯など新期造山帯と称される若い山脈が形成されていくものとみられている[4]
三畳紀の生物ベレムナイト(推定図)

ペルム紀末の大量絶滅の後、空席になったニッチ(生態的地位)を埋めるように、海生生物では、古生代型の海生動物にかわって、新しい分類群がつぎつぎに出現した。六放サンゴやさまざまな翼形(よくけい)二枚貝などが発展するようになり[2]、アンモナイトは、中生代まで生き残った数種をもとにセラタイト型が爆発的に増えた[7]


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