三田 誠広
(みた まさひろ)
誕生 (1948-06-18) 1948年6月18日(75歳)
日本大阪府大阪市
職業小説家・大学教授
言語日本語
国籍 日本
教育文学士
最終学歴早稲田大学第一文学部演劇専修
活動期間1966年 -
ジャンル小説
代表作『僕って何』(1977年)
『やがて笛が鳴り、僕らの青春は終わる』(1980年)
『いちご同盟』(1990年)
主な受賞歴芥川龍之介賞(1977年)
デビュー作『Mの世界』
影響を受けたもの
埴谷雄高
ブレーズ・パスカル
仏陀
ドストエフスキー
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三田 誠広(みた まさひろ、1948年6月18日?)は、日本の小説家。日本文藝家協会副理事長。日本文藝著作権センター事務局長。著作権問題を考える創作者団体協議会議長。歴史時代作家クラブ会員。武蔵野大学名誉教授(2019年-)。日本メンデルスゾーン協会理事長[1]。 大阪府出身。私立追手門学院小学校、同中学校を卒業。大阪府立大手前高等学校で岩脇正人
来歴・人物
早稲田大学第一文学部演劇専修卒業。玩具業界雑誌の編集者、のちに広告プロダクションで自動車メーカーの販売店向き機関紙の編集者と、サラリーマン生活を経る[4]。その後、アルバイトで週刊誌のアンカーをしながら『僕って何
』の仕上げをした[5]。1977年、『僕って何』で第77回芥川賞受賞。1988年から早稲田大学の文芸科で教鞭をとり小説創作の演習を担当。1997年?2001年と2005年?2007年には早稲田大学文学部客員教授を務めた。その後2009年?2011年武蔵野大学客員教授、2011年から武蔵野大学教授。2019年退任し、名誉教授。
芥川賞受賞作『僕って何』は早稲田大学在学当時に経験した学生運動をモチーフにした作品だが、当時本人は特定のセクトに属さずクラス単位での活動に参加。既に学生結婚しており家庭を持つ身であったためバリケードに泊まり込むことはせず「日帰り」で活動していた(『都の西北』)。また、『僕って何』という小説は、従来の「社会主義を絶対的な正義として、正義のために闘おうとしながら結局は挫折してしまう人物をセンチメンタルに描いた」生真面目な学生運動小説に対して、作品の中に絶対的な価値基準を置かず、学生運動自体に批判的な視点をもっており(本人ホームページ)、ユーモアと恋愛小説風の軽やかな筆致で、学生運動を客観的・通俗的に描いたため、その新しさが評価された一方で、政治的には左右の一部から批判の的とされた。
芥川賞受賞以来「団塊世代の旗手」と称されることも多く、それに呼応するように「ニューファミリー世代」「団塊世代」としての家族のあり方をテーマに随筆・小説を多く手がけている。『僕の赤ちゃんたち』『トマトケチャップの青春』『パパは塾長さん』『息子の教育』『父親学入門』『ぼくのリビングルーム』など、家族の関わりの中でも子育て・教育に関する著作が多かったが、近年では『団塊老人』『団塊?再生世代の底力』『夫婦って何? おふたり様の老後』など団塊世代の老後の生き方への提言・指南を多く著している。
2009年に上梓した『新釈罪と罰』の「あとがき」では、「僕はドストエフスキーを読むことで小説の魅力に触れ、小説家の人生を始めることになった」と述べている。初の新聞連載『龍をみたか』は、『白痴』のパロディー化ということを意識して書いたと述べている。
また、キリスト教・仏教への造詣が深く、『地に火を放つ者/双児のトマスによる第五の福音』『迷宮のラビア』『釈迦と維摩/小説維摩経』『空海』『日蓮』といった深遠な宗教小説が近年を代表する創作である。
さらに、『聖書の謎を解く』『般若心経の謎を解く』『謎の空海』『はじめての宗教 キリストと釈迦』などの入門書・エッセーも旺盛に執筆している。本人のホームページによると、ライフワークとしての小説作品とその「解説書」を並行して次々に発表する「すごいパラノイア的構想」によると述べており、「21世紀はパラノイアの時代だ」としている。