「錦城高等学校」とは異なります。
錦城学園高等学校
.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯35度41分33.4秒 東経139度45分42.9秒 / 北緯35.692611度 東経139.761917度 / 35.692611; 139.761917
錦城学園高等学校(きんじょうがくえんこうとうがっこう)は、東京都千代田区神田錦町三丁目にある私立高等学校。全日制の男女共学校で、学校法人錦城学園が運営している。通称は、錦城(きんじょう)。
東京都小平市にある錦城高等学校は、同法人が運営する姉妹校である。兵庫県明石市にある兵庫県立錦城高等学校とは、一切関係がない。 1880年(明治13年)5月5日、福澤諭吉の高弟である矢野文雄(号・龍渓)が、慶應義塾旧医学校跡に創設した「三田予備校」を源流とする、慶應義塾の関連校であった[1][2]。 明治時代には旧制第一高等学校などへ多くの卒業生を送り込んだ。1923年(大正12年)、日本の国会において第2次山本内閣が発足したが、その中に卒業生4名などが含まれていたため "錦城内閣" と呼ばれたことがある。 1880年、福澤諭吉の高弟である矢野文雄(号・龍渓)が、旧慶應義塾旧医学校跡に創設した「三田予備校」を源流とする。 1881年に三田英学校と改称し、英語教育を中心とした教育を始める。創立以来男子校であった。 2004年に学校の施設や設備を改修し、2006年以降男女共学校となった。また同年、制服のブレザーの色を、緑色から紺色へ変更した。
概観
沿革
略歴
年表
1880年 - 矢野文雄(号・龍渓)が、東京府芝区三田二丁目(現・港区三田二丁目)に三田予備校を創立。校主矢野武雄(矢野龍渓の弟。東京開成学校卒)
1881年 - 東京府芝区愛宕町三丁目(現・港区新橋五丁目)に移転し三田英学校と改称。校主矢野武雄。
1883年 - 三田英学校、幼年舎併設。
1885年 - 三田英学校、本科、予科、幼年舎の他に高等科を併設。
1889年 - 東京府神田区錦町三丁目(現在地)に、新校舎建設移転。校名を錦城学校と改称。普通科、速成科、英漢両専科の他に数学科を新設。
1892年 - 神田大火にて本校も罹災。神田区猿楽町二番地の東京数学院を仮教場とし、翌日より平常授業。焼失地跡に新校舎竣工。錦城学校尋常中学と改称。矢野文雄(号・龍渓)が、校長に就任。
1899年 - 錦城中学校と改称。
1905年 - 錦城予備学校設立。
1906年 - 同窓会創立。矢野文雄(号・龍渓)が、会長に就任。
1907年 - 錦城商業学校を神田区錦町三丁目十八番地(現・東京電機大学五号館敷地内)に併設。
1910年 - 中学校創立三十年式典を挙行。
1948年 - 学制改革にともない、新制錦城高等学校(普通科・商業科)と改称。
1953年 - 錦城高等学校商業科を錦城商業高等学校と改称。