三湖伝説
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三湖伝説(さんこでんせつ)は青森県岩手県秋田県にまたがる伝説。主に秋田県を中心として語り継がれている。異類婚姻譚変身譚見るなのタブーの類型のひとつ。各地にこの物語が残されているが、細部は異なっている。
物語の要約
八郎太郎と十和田湖誕生十和田湖

鹿角郡の草木(くさぎ)村(現・秋田県鹿角市十和田草木地区)に八郎太郎(はちろうたろう)という名の若者が暮らしていた[† 1]。八郎太郎はマタギをして生活していた。しかしある日仲間の掟を破り、仲間の分のイワナまで自分一人で食べてしまったところ、急に喉が渇き始め、33夜も川の水を飲み続け、いつしか33尺の竜へと変化していった。自分の身に起こった報いを知った八郎太郎は、十和田山頂に湖を作り、そこの主として住むようになった。この湖が十和田湖である。
南祖坊の誕生と修行南祖坊が修行をした自籠岩

陸前気仙の近くにざん訴によって都落ちした藤原是真の子がいた。子供夫婦には子がいなかった。奥方は観音堂に祈願を込めたところ、満願の日に「願いをかなえてしんぜよう。だが、その子は弥勒の出世を願うことだ」とお告げがあった。やがて生まれた子が南祖坊であった。南祖坊は修行を重ね76歳の時熊野山において法力を得た。ある日「片方の草履と杖を与える。これを持って思いのまま歩け。片方の草履を見つけたらそこを永住の地とせよ」と神の声を聞くと共に、片方の鉄の草履と鉄杖を手にした。南祖坊は喜び、多くの地を踏破し、十和田湖の自籠岩付近でついに片方の草履を発見した。南祖坊はこの自籠岩に端座し、昼夜を分かたず経文を唱えた。そこに、湖の主である八郎太郎が現れた。
八郎太郎と南祖坊の戦い(その1)五色岩(赤根崎)

南祖坊は八郎太郎に戦いを挑み、彼らは7日7晩戦った。南祖坊が法華の八巻を投げつけると、経の八万四千の文字が一本一本の剣になって八郎太郎に突き刺さる。こうして、八郎太郎は逃げ去った。静まりかえった湖面上に天の童子が現れ空中に浮かびながら「お前の難行苦行の結果、願いは達せられた。今こそ、その沼に入って弥勒の出世を得べし」と言うと、松の木の上に「十和田山正一位青龍権現」の文字がありありと映し出された。童子は「我こそは熊野山の使いなり」と言い、かき消すように失せた。南祖坊は大願成就と伏し拝んで湖にとび入り、潟の主になった。南祖坊が湖に入った場所がサング打場(占場)で、八郎太郎の血で染まった岩を赤根崎という。南祖坊は十和田青龍権現として祀られることとなった。占場
八郎太郎の旅

十和田湖を追われた八郎太郎は、鹿角で男神山と女神山の間をぬうように流れる米代川をせき止め鹿角を水没させ自らのすみかを作ろうとしようと、八郎太郎は近くの茂谷山をひもを使って動かそうとした。鹿角の42柱の神々はこれを知って驚き、大湯の西に集まって評定した。大湯環状列石の北西にある集宮(あつみや)神社はこのときに神々が集まった場所とされる。神々は八郎太郎に石のつぶてをぶつけることに決め、石を切り出すために花輪福士(臥牛)の日向屋敷にいた12人の鍛冶に金槌、ツルハシ、鏨などを沢山作らせ、牛に集宮まで運ばせた。途中あまり重たいので血を吐いて死ぬ牛がおり、そこは乳牛(チウシ)と現在呼ばれている。これに気づいた八郎太郎は、すみかをつくることをあきらめて茂谷山の中腹にかけた綱をほどいたが、その跡は現在も段になって残って見えるとされる。八郎太郎と七座天神が力比べをしたという石

八郎太郎は米代川を通って逃げ、途中七座山近くのネズミ袋で川を堰止め湖を作ろうとした。地元の8柱の神々が相談して一番賢い七座天神に任せることにした。天神と八郎太郎は大石を投げ、力比べをした。八郎太郎が投げた石は米代川の水中に落ちたが、天神が投げた石は対岸の天神の境内のある田まで飛んだ。八郎太郎は天神から天瀬川の方にもっと広い場所があることを聞き移動することを受け入れた。八郎太郎は一旦せき止めた堤防に、天神の使いの白鼠が穴を開けその流れに乗って下流に向かった。その際、白鼠を食べようとする猫を紐でつないでおいた地区が能代市二ツ井町小繋(猫つなぎ)地区である。
八郎潟の誕生三倉鼻から見た八郎潟

日本海附近まで来て、ようやく湖を作る適地が見つかったので、その支障となる天瀬川(あませがわ)(現・秋田県山本郡三種町天瀬川)の老夫婦の家を訪ね、明朝鶏が鳴くと同時に洪水が来るから避難するようにと伝え、湖を作り始めた。しかし姥は逃げる途中で麻糸(糸巻きという話もある)を忘れてきたことに気づき取りに戻った。そのとき、鶏が鳴き夫婦は逃げ遅れたため、八郎太郎はそれぞれ別々の岸へと放り投げて助けた。夫は湖の東岸の三倉鼻に、妻は北西岸に祀られている[† 2]。出来上がった湖が八郎潟である[† 3]
辰子姫と田沢湖誕生辰子姫と田沢湖

仙北郡の神成村に辰子(たつこ)という名の娘が暮らしていた。

辰子は類い希な美しい娘であったが、その美貌に自ら気付いた日を境に、いつの日か衰えていくであろうその若さと美しさを何とか保ちたいと願うようになる。辰子はその願いを胸に、観音菩薩に百夜の願掛けをした。必死の願いに観音が応え、山深い泉の在処を辰子に示した。そのお告げの通り泉の水を辰子は飲んだが、急に激しい喉の渇きを覚え、しかもいくら水を飲んでも渇きは激しくなるばかりであった。

狂奔する辰子の姿は、いつの間にか竜へと変化していった。自分の身に起こった報いを悟った辰子は、泉を広げて湖とし、そこの主として暮らすようになった。この湖が田沢湖である。

悲しむ辰子の母が、別れを告げる辰子を想って投げた松明が、水に入ると魚の姿をとった。これが田沢湖のクニマスの始まりという[† 4]田沢湖#辰子伝説」も参照
八郎太郎と南祖坊の戦い(その2)、八郎太郎と辰子

八郎太郎は、いつしか辰子に惹かれ、田沢湖へ毎冬通うようになった。辰子もその想いを受け容れたが、ある冬、辰子の元に南祖坊が立っていた。辰子を巡って再度戦った結果、今度は八郎太郎が勝ちを収めた。それ以来八郎太郎は冬になる度、辰子と共に田沢湖に暮らすようになり、主が半年の間いなくなる八郎潟は年を追うごとに浅くなり、主の増えた田沢湖は逆に冬も凍ることなくますます深くなったのだという[1][† 5]


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