三浦重次
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この項目では、延岡藩のち刈谷藩主・三浦明敬の嫡子について説明しています。下総三浦藩主・三浦重成の養子については「阿部重次」をご覧ください。

三浦 重次(みうら しげつぐ、天和3年(1683年) - 元禄8年5月24日1695年7月5日))は、日向延岡藩の世嗣。延岡藩主(のち三河刈谷藩初代藩主)三浦明敬の次男。通称は内膳。

下野国壬生藩主(のち延岡藩主)の嫡子として育ち、元禄7年(1694年)に将軍徳川綱吉に拝謁した。しかし、翌元禄8年(1695年)に13歳で早世した。代わって、弟の明喬が嫡子となった。

更新日時:2019年7月25日(木)16:13
取得日時:2019/08/05 14:03


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