人口31,017人、面積17.04km²、人口密度1,820人/km²。(2024年2月1日、推計人口)
以下の1町からなる。 行政区画として発足した当時の郡域は、上記の1町以外では、現在の行政区画で概ね以下の区域に相当する。 行政区画として発足した当時に隣接していた郡は以下の通り。 古代、相模国御浦郡である[1]。郡衙は葉山町一色一帯とも、横須賀市の神奈川県立横須賀高等学校付近ともされるが不詳。古代末より中世には三浦氏の勢力下にあった。 明治時代の郡役所は、今の京急本線汐入駅の場所に置かれていた。 知行村数村名
葉山町(はやままち)
郡域
横須賀市(全域)
逗子市(全域)
三浦市(全域)
隣接していた郡
神奈川県 : 久良岐郡、鎌倉郡
歴史
沿革
1867年(慶応3年) - それまでは海防の関係から上野前橋藩、武蔵忍藩、陸奥会津藩、武蔵川越藩、相模小田原藩、近江彦根藩、長門萩藩、肥後熊本藩、下総佐倉藩等が郡内を管轄していたが、ほぼ全域が幕府領となり、代官・江川太郎左衛門支配所の管轄となる。
「旧高旧領取調帳」に記載されている明治初年時点での支配は以下の通り。●は村内に寺社領が、○は寺社除地(領主から年貢免除の特権を与えられた土地)が存在。幕府領は代官・江川太郎左衛門支配所、浦賀奉行所が管轄した。77村[2]を数える。
幕府領浦賀奉行所10村野比村、長沢村、三崎村、須軽谷村、●浦賀村、●八幡久里浜村、久村、内川新田、●佐原村、●衣笠村
幕府領65村津久井村、●上宮田村、菊名村、●金田村、松輪村、毘沙門村、中之町岡村、東岡村、向ヶ崎村、宮川村、二町谷村、原村、諸磯村、小網代村、三戸村、下宮田村、高円坊村、武村、大田和村、林村、赤羽根村、竹之下村、本和田村、入江新田、長井村、荻野村、長坂村、●佐島村、●芦名村、●秋谷村、長浦村、田浦村、船越新田、●浦ノ郷村、公郷村、深田村、●中里村、横須賀村、逸見村、不入斗村、大津村、●鴨居村、●走水村、佐野村、岩戸村、森崎村、大矢部村、小矢部村、上平作村、下平作村、●池上村、●金谷村、●木古庭村、●上山口村、下山口村、●一色村、●長柄村、●○堀内村、●沼間村、●桜山村、山野根村、●小坪村、逗子村、久野谷村、城ヶ島村
その他寺社領2村柏原村、○池子村
1868年(慶応4年)
3月19日 - 神奈川奉行が新政府軍に接収されて横浜裁判所となり、下記の水戸藩領を除く当郡全域を管轄。ただし、韮山代官所管轄地域の一部事務は引き続き韮山代官所が扱った。
4月20日 - 横浜裁判所が神奈川裁判所に改称。内務は管下の戸部裁判所が担当した。
6月17日 - 神奈川裁判所が神奈川府に改称。
6月29日 - 韮山代官所が韮山県に改組され、一部事務を引き継ぐ。
1868年(明治元年)
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