この項目では、女優について説明しています。社会事業家、石川啄木の妹については「三浦ミツ」をご覧ください。
みうら みつこ
三浦 光子
映画『秘めたる心』(1940年、右は朝霧鏡子)
生年月日 (1917-01-17) 1917年1月17日
没年月日 (1969-06-14) 1969年6月14日(52歳没)
出生地東京府東京市牛込区
職業女優
ジャンル映画
主な作品
『大曾根家の朝』(1946年 木下恵介)
『西陣の姉妹』(1952年 吉村公三郎)
『稲妻』(1952年 成瀬巳喜男)
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三浦 光子(みうら みつこ、1917年1月17日 - 1969年6月14日)は、日本の女優。 牛込余丁町小学校を卒業後に三崎英語学校を経て、大妻高等女学校(現・大妻中学校・高等学校)に進学した[要出典]。1935年(昭和10年)日劇に入団、松竹の目に留まり、スカウトされる。1938年(昭和13年)松竹大船撮影所に入社する。『蛍の光』(1938年)が第1回出演作品となり、デビューを果たした。以後松竹大船の映画作品に出演し、スター女優の一人に成長する。 戦後の1946年、米軍中尉日系二世と結婚し渡米、のち離婚[2]。帰国後再び映画界に復帰する[3]。 1961年、三浦充子と改名、1962年に引退した[3]。引退後、事業家になる。 1969年6月14日、直腸がんで死去[2]。
来歴
主な出演
映画
螢の光(1938年)
皇軍大捷の歌 永遠の感激(1938年)
或る女の道(1938年)
按摩と女(1938年)ハイキングの女
友情を盗む勿れ(1938年)
純情哀詩 宵待草(1938年)
わが家に母あれ(1938年)
希望に立つ(1938年)
家庭日記(1938年)
女の友愛(1938年)
第一線の人々(1938年)
頑張り娘(1938年)
まごころ繁昌記(1939年)
女性の戦ひ(1939年)
若い人の立場(1939年)
女こそ家を守れ(1939年)
結婚天気図(1939年)
大陸の花嫁(1939年)
続愛染かつら(1939年)
あこがれ(1939年)
胸に咲く花(1939年)
母を讃へる歌(1939年)
素晴らしき哉彼女(1939年)
黒潮(1939年)
姉の秘密(1939年)
花嫁競争(1939年)
愛染かつら 完結篇(1939年)未知子の友人
わが子の結婚(1939年)
新妻問答(1939年)
女の気持(1940年)
四季の夢(1940年)
信子(1940年)- 細川頴子、生徒
叩き出した幸福(1940年)
美しき隣人(1940年)
女性の覚悟 第一部 純情の花(1940年)
女性の覚悟 第二部 犠牲の歌(1940年)
家庭教師(1940年)
若草(1940年)
秘めたる心(1940年)
冬木博士の家族(1940年)
幸福な家族(1940年)
男への条件(1941年)
振袖御殿(1941年)
往きあふ人々(1941年)
結婚の理想(1941年)
心は偽らず(1941年)
元禄忠臣蔵 前篇(1941年)瑶泉院
新たなる幸福(1942年)
家族(1942年)
元禄忠臣蔵 後篇(1942年)瑶泉院
三人姉妹(1942年)
高原の月(1942年)
兄妹会議(1942年)
誓ひの港(1942年)
幽霊大いに怒る(1942年)
戦ひの街(1943年)
家に三男二女あり(1943年)
むすめ(1943年)
母の記念日(1943年)
勝鬨音頭(1944年)
女性航路(1944年)
還って来た男(1944年)
不沈艦撃沈
伊豆の娘たち(1945年)
そよかぜ(1945年)
グランドショウ1946年(1946年)
ニコニコ大会(1946年)
大曾根家の朝(1946年)娘 悠子
女性の勝利