三浦しおん
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三浦 しをん
誕生 (1976-09-23)
1976年9月23日(47歳)
日本東京都
職業小説家随筆家
言語日本語
国籍 日本
教育文学士
最終学歴早稲田大学第一文学部演劇専修
活動期間2000年 -
ジャンル小説随筆
代表作『まほろ駅前多田便利軒』(2006年)
風が強く吹いている』(2006年)
舟を編む』(2011年)
『ののはな通信』(2018年)
主な受賞歴直木三十五賞(2006年)
本屋大賞(2012年)
織田作之助賞(2015年)
島清恋愛文学賞(2018年)
河合隼雄物語賞(2019年)
デビュー作『格闘する者に○』(2000年)
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三浦 しをん(みうら しをん、女性、本名同じ、1976年昭和51年〉9月23日 - )は、日本小説家随筆家
来歴

東京都出身。父は上代文学伝承文学研究者で千葉大学名誉教授三浦佑之

横浜雙葉中学校・高等学校を卒業し、1995年4月に早稲田大学第一文学部に入学。翌年、同学部文学科演劇専修に進む。当初、三浦は編集者として出版社に就職することを志望しており、大学4年となった1998年には、出版各社に対して就職活動を行っていた[1]。その活動中、早川書房の入社試験で、三浦の作文を読んだ担当面接官の編集者・村上達朗が、三浦に執筆の才を見出した。村上の勧めを受けて三浦は、同年11月から、「Boiled Eggs Online」のサイトにおいて、ウィークリー読書エッセイ『しをんのしおり』の連載開始。同年末に村上は早川書房を退社し、著作権エージェント「ボイルドエッグズ」を設立し、三浦にも作家に転進するよう勧めた。出版社、編集プロダクションの面接を約20社受けるも、折からの就職氷河期もあって全滅する[2]。そのまま1999年3月に大学を卒業。友人の紹介で外資系出版社の事務のアルバイトをするが、本国から英語で頻繁にかかってくる電話に対応できず約3か月で辞める[2]。その後は、町田駅前の大型古書店「高原書店」にアルバイトとして2001年まで勤務していた。

ボイルドエッグズを立ち上げた村上から小説を書くよう叱咤激励され、「『自分の就職活動』なら書けるのでは」と提案されたこともあって、1999年秋から執筆に着手する。2000年4月に、自らの就職活動の経験をもとに3か月かけて書きあげた処女小説『格闘する者に○』(草思社)を出版した。だが、「これは違う、書きたいものではない」と思い、その後もなかなか作家としての実感は持てなかった。2年後の2002年、4作目の『秘密の花園』で近づいた手応えをつかむ。その後、2005年には『私が語りはじめた彼は』で山本周五郎賞候補、同年7月には『むかしのはなし』で直木賞候補となった。この3作が最も試行錯誤した時期だった[2]

2006年8月に『まほろ駅前多田便利軒』で同年上半期の直木賞を受賞した[3]。誕生日前の29歳での受賞であり、20代での直木賞受賞は、堤千代平岩弓枝山田詠美に続く4人目である。

2011年3月13日にボイルドエッグズとの契約が切れ、マネジメントも含めて自立する[4]

2012年、『舟を編む』が本屋大賞に選ばれる[5]。2014年、『仏果を得ず』が第2回Osaka Book One Project(現大阪ほんま本大賞)選定作となる[6]。2015年、『あの家に暮らす四人の女』が織田作之助賞に選ばれた[7]

2004年から雑誌『Cobalt』にてCobalt短編小説賞の選考委員、2008年から太宰治賞の選考委員、2009年から手塚治虫文化賞の選考委員、2012年からR-18文学賞の選考委員を務めている。2020年3月に直木賞選考委員に就任[8]

2018年刊の『ののはな通信』で第25回島清恋愛文学賞及び第7回河合隼雄物語賞受賞。

2019年、植物学専攻の大学院生を描いた『愛なき世界』で、作家としては初めてとなる日本植物学会賞特別賞を受賞[9]
エピソード

名前の由来 - 両親が、当時の世田谷の家の庭の
紫苑の花から名付けた。ただし、後に母から石川淳『紫苑物語』が好きという意味もあったと聞いた[2]

物心がついたころから、本を読むのが好きで、絵本や家の本棚にあった母が読んでいたらしい古い「少年少女のための日本文学宝玉集」[10]阿部知二 他編(上・下)宝文館を愛読していた。


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