三波川変成帯(さんばがわへんせいたい)は中央構造線の外帯に接する変成岩帯である。日本最大の広域変成帯とされ、低温高圧型の変成岩が分布する。名称は群馬県藤岡市三波川の利根川流域の御荷鉾山の北麓を源流とする三波川産出の結晶片岩を三波川結晶片岩と呼んだことに由来する。三波川帯とも呼ばれる。中央構造線を挟んで北側の領家変成帯と接する。 分布は関東山地から一旦フォッサマグナにより寸断され、長野県諏訪湖南方の上伊那地域で再び現れ、天竜川中流域・小渋川を経て紀伊半島、四国、九州の佐賀関に及び、全長約1000kmに達する。さらに広義の三波川変成帯は同様の変成作用を受けている南側の御荷鉾緑色岩帯・秩父変成帯をも含む[1]。さらにその南側に四万十帯が接する。 基盤岩はジュラ紀から白亜紀に低温高圧型の変成作用を受けた結晶片岩からなる[2]。四国の三波川変成帯の変成度の高い結晶片岩中の白雲母や黒雲母のK-Ar放射年代は82-102Ma[注釈 1]を示し、Rb-Sr放射年代
概要
南海トラフ沿いのフィリピン海プレートおよびその付加体の沈み込みに伴い、深く沈み込んだ岩石が変成作用を受ける。三波川帯など中央構造線より南側の外帯では地下15kmから30kmの深さで低温高圧型の変成岩が生成され、北側の内帯である領家帯ではプレートの沈み込みの結果生じたマグマの作用により高温低圧型の変成岩が生成する。発熱量の高い放射性同位体を多く含む花崗岩質の陸側のプレートは沈みにくいが、低温で密度の高いフィリピン海プレートは陸側のプレートの下に潜り込むと考えられる[3]。
各地の三波川帯
関東山地三波川三波石
三波川変成帯の名称の基となった三波川流域は名石「三波石」の産地として古来より知られ、明治時代に小藤文次郎により、長瀞渓谷から三波石峡を経て北側の三波川にかけて分布する結晶片岩が研究された。三波石の産地である三波石峡は1957年に、国の天然記念物に指定された[4]。 紀伊山地の三波川帯はほぼ四国のものと連続し、三波川結晶片岩および御荷鉾緑色岩からなり、主に紀ノ川南西側に分布する。紀伊山地中央部では秩父帯古生層がその南側の中生層に衝上した衝上断層を形成している[5]。三重県松阪市では月出の中央構造線という大規模な露頭を見ることができる[6][7]。 層序は以下のように区分される[8]。 これらの変成作用の年代は鞆淵層:68.7-78.6Ma、毛原層:89.3-97.1Ma、生石層:81.7-101Ma、沼田層:99.4-117Ma、嵯峨層:113-118Maを示し北側の地質帯ほど変成年代が若くなっている[9][10]。 四国中央部では最も広い幅である約30kmの三波川変成帯が分布し、御荷鉾・秩父変成帯を含めば幅約50kmに達する。 三波川結晶片岩の層序は以下のように区分される[11]。 これらの内、三縄層が最も広く分布し、中心部は石英片岩
紀伊山地
点紋帯
渋田層
飯盛層
龍門層
無点紋帯
鞆淵層
御荷鉾緑色岩類
堂鳴海山層
生石層
沼田層
嵯峨層
四国山地三波川結晶片岩を基盤岩とする石鎚山脈。笹ヶ峰から望む。緑泥石片岩からなる徳島城本丸北側の石垣愛媛県佐田岬に見られる緑色片岩の岸壁
吉野川層群
上部層群
大生院層
中部層群
三縄層
小歩危層
下部層群
川口層
大歩危層
この五良津岩体では柘榴石角閃岩やエクロジャイトなど高圧下で生成した変成岩が見られる。