三沢 またろう
出生名三沢 成樹
別名MATARO
生誕 (1960-10-23) 1960年10月23日(63歳)
出身地 日本 北海道苫小牧市
学歴東京音楽大学打楽器科卒業
ジャンルJ-POP
職業パーカッショニスト
音楽プロデューサー
アレンジャー
活動期間1980年 -
レーベルTRYCLE(トライクル)
(1994年 - 1995年)
共同作業者米米CLUB
公式サイト ⇒またろうホームページ(公式)
三沢 またろう(みさわ またろう、1960年10月23日 - )は、日本のパーカッショニスト、音楽プロデューサー、アレンジャー[1]。MATARO名義でも活動する。本名は三沢 成樹(みさわ しげき)[1]。北海道苫小牧市出身[1]。洗足学園音楽大学ロック&ポップス打楽器講師[2]。 芸名の「またろう」は高校時代のニックネームに由来する[注 1][1]。音楽業界に紹介してくれた先輩が母校・東京音大出身であったためプロになってからもそう呼ばれ、姓名判断の結果が良かったことや覚えてもらいやすいということでそのまま名乗り続けることになった[3]。 音大ではクラシック打楽器を学び、ティンパニ・マリンバ・グロッケンはもちろん、ラテン楽器のコンガ・ボンゴ・ティンバレスやジャンベ・カホン・パンデイロ・タブラほか、あらゆるパーカッションをノンジャンルで操り、どんな音楽にも独自のアレンジでパーカッションを加える。自らを「ジャンルにとらわれない、またろう流のパーカッション」と称する。 東京音楽大学在学中にサンババンド「OPA」に参加、続いてシュガー(1982年)や橋真梨子(1983年)などのアーティストのバックバンドでプロのパーカッショニストとしてレコーディングおよび演奏活動を開始する[注 2][2][4]。そして大学卒業後の1985年にスタジオミュージシャンとしての活動を本格化。以来、さまざまなアーティストのレコーディングやライブに参加する。そのジャンルはポップス・ハードロック・メタル・ラップ・歌謡曲・アニメソング・CMジングルなど幅広い。またスタジオ・ミュージシャンとしての活動と並行してアーティストのアレンジやプロデュース、CMの作曲・編曲等を手掛け、複数の音楽ユニットやバンドにも参加する[4]。自身のバンド「J.A.M」「東京マンデーズ」「The Rhythm Kings」ではボーカル・ギターも担当する。 1990年、米米CLUBのコンサートツアー『SHARISHARISM ART WORK』に参加し、以降メンバーとして1997年の解散まで活動する。そして2006年の再結成以降もサポートミュージシャンとして関わることとなる。とくに演奏するだけでなく、観客を楽しませ盛り上げるエンターテイナーとしての感覚は米米CLUBに在籍したことで大きく養われたという。演奏は観客の目を惹く事を意識した大きなアクション・パフォーマンスが特徴的。 パーカッションのほかコーラスも担当し、自らコーラスアレンジも手がける。
人物