三沢 あけみ
出生名宮下 登志子
生誕 (1945-06-02) 1945年6月2日(78歳)
出身地 日本・長野県伊那市
学歴小野学園女子高等学校卒業[1]
ジャンル演歌
歌謡曲
職業歌手
女優
担当楽器歌
活動期間1959年 -
事務所三沢あけみオフィス
公式サイト ⇒三沢あけみ
三沢 あけみ(みさわ あけみ、1945年〈昭和20年〉6月2日 - )は、日本の演歌歌手、女優。本名は宮下 登志子。現在は東京都在住。 長野県伊那市に生まれる。第7期東映ニューフェイスに合格(同期は宮園純子・三島ゆり子・結城美栄子)。
来歴
1959年(昭和34年)-東映ニューフェイスに合格、NETのテレビドラマ『笛吹童子』三沢あけみとして芸能界デビュー。
芸名は、当時の東映京都撮影所長が、いずれも字画が良いとして「笹川まゆみ」と「三沢あけみ」の2点を提示し、本人は後者を選んだ[2]。
1961年(昭和36年)-映画デビューし、時代劇で活躍する。
1963年(昭和38年)
2月-ビクターレコードより「ふられ上手にほれ上手」で歌手デビューするが、「色気がありすぎる」として放送中止という憂き目にあってしまう。
4月-「島のブルース」が大ヒット。三沢自身の一番の代表曲となる。
12月-「島のブルース」で第5回日本レコード大賞の新人賞を受賞し、更に「第14回NHK紅白歌合戦」にも初出場を果たした。
1964年(昭和39年)11月-同じビクターの先輩歌手小唄勝太郎が戦前にヒットさせた「明日はお立ちか」をカバーし、リバイバルヒット。
1965年(昭和40年)4月-久美悦子、こまどり姉妹らと競作となった「アリューシャン小唄」を発売。同曲で紅白歌合戦に2度目の出場を果たす。
1966年(昭和41年)1月-同じビクター歌手小林千代子が戦前にヒットさせた「涙の渡り鳥」をカバーし、リバイバルヒット。
12月-「サガレン小唄」で紅白歌合戦3度目の出場。
1967年(昭和42年)12月-「お手を拝借」で紅白歌合戦4度目の出場。
1968年(昭和43年)12月-長野県民謡「木曽節」で紅白歌合戦5度目の出場。
1970年(昭和45年)11月-政治家秘書の男性と結婚。
1977年(昭和52年)2月-離婚。
1979年(昭和54年)9月-再起第1弾「わかれ酒」発売、40万枚を超すロング・ヒット。
1980年(昭和55年)4月-「恋しくて」をリリース、続けてヒットする。
8月-約20年ぶりにテレビドラマ「若き日の北条早雲」(テレビ朝日)にレギュラー出演。
1981年(昭和56年)
1月-東宝正月歌舞伎「半七捕物帳」で長谷川一夫先生と初共演の初舞台を踏む。
9月-三沢あけみ演歌塾を全国40ケ所以上で開催。
10月-NHK作詞大賞受賞「夜の雨」。
1982年(昭和57年)
6月-歌手生活20周年リサイタルを新橋演舞場で開く。
10月-ブラジル、ハワイ公演。
1987年(昭和62年)
6月-「渡り鳥」のロングセラーでNHK古賀賞受賞。
7月-メガロポリス歌謡祭演歌部門入賞。
9月-日本演歌大賞受賞。
10月-NHK作詞大賞受賞「渡り鳥」。
11月-演歌音楽祭演歌特別奨励賞受賞。
12月-日本有線放送大賞特別奨励賞受賞。日本レコード大賞歌唱賞入賞。
1988年(昭和63年)
6月-NHK古賀賞受賞「北国恋歌」。
7月-メガロポリス歌謡祭演歌部門入賞。
10月-横浜音楽祭演歌賞入賞。
1989年(昭和64年・平成元年)
10月-横浜音楽祭演歌特別奨励賞受賞「色もよう」。
12月-日本有線大賞協会撰賞受賞。
1991年(平成3年)4月-海部俊樹首相主催「ゴルバチョフ・ソ連大統領歓迎晩餐会」にて日本人歌手として初めて歌を披露。
1992年(平成4年)
3月-30周年記念アルバム「エンドレスソング?愛・・・永遠に?」発売。
6月-メガロポリス歌謡祭特別賞受賞。
9月-30周年リサイタル「明日へ!この歌の道を・・・」NHKホール他、全国5ケ所にて開催。
11月-レコード大賞部門賞・優秀アルバム賞受賞。
12月-日本有線大賞・30周年特別賞受賞。
1993年(平成5年)11月-ロッテ「ホカロン」コマーシャル出演。
1995年(平成7年)11月-日本作詞大賞入賞「彩り川」。
1997年(平成9年)
9月-歌手生活35周年記念曲「おかけになった番号は」発売。
10月-芸術祭参加35周年リサイタルを有楽町の朝日ホールで開催。
2002年(平成14年)