三池崇史
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みいけ たかし
三池 崇史
2023年 第36回東京国際映画祭にて
生年月日 (1960-08-24) 1960年8月24日(63歳)
出生地 日本大阪府八尾市
職業映画監督
ジャンルホラーコメディバイオレンス
活動期間1991年 -
配偶者あり
主な作品
映画
DEAD OR ALIVE』シリーズ
オーディション
殺し屋1
着信アリ
ゼブラーマン』シリーズ
妖怪大戦争
スキヤキ・ウエスタン ジャンゴ
クローズZERO』シリーズ
ヤッターマン
十三人の刺客
悪の教典
藁の楯
土竜の唄』シリーズ
神さまの言うとおり
ラプラスの魔女』ドラマ
ケータイ捜査官7
ガールズ×戦士シリーズ

 受賞
東京国際映画祭
アジア映画賞
1999年DEAD OR ALIVE 犯罪者
日本アカデミー賞
優秀監督賞
2011年十三人の刺客
その他の賞
日本映画プロフェッショナル大賞
作品賞
2001年殺し屋1
監督賞
1997年岸和田少年愚連隊 血煙純情篇
2001年『殺し屋1』高崎映画祭
最優秀監督賞
1998年中国の鳥人シッチェス・カタロニア国際映画祭
審査員特別賞
2003年極道恐怖大劇場 牛頭 GOZUセントルイス映画批評家協会賞
外国語映画賞
2011年十三人の刺客ラスベガス映画批評家協会賞
外国語映画賞
2011年『十三人の刺客』

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三池 崇史(みいけ たかし、1960年8月24日 - )は、日本映画監督大阪府八尾市出身。バイオレンスの巨匠とも謳われている[1]既婚
来歴・人物

幼少時代を三重県で過ごし、大阪工業大学高等学校時代はラグビーを行っていたが、入部した瞬間にレベルの違いを思い知って挫折[2]。ラグビーを断念してバイクサーキットライセンス取得に挑したが、走りにくい状態で前を走る人間を抜く欲求が生まれなかったため、これも断念[2]。大学へ内部進学できなくなっていた三池は横浜放送映画専門学院(現・日本映画大学)に進学、横浜にあった今村昌平の私塾で映画を学ぶが、大師匠の大庭秀雄の映画に対する心構えの講義を聞いた際に自分は場違いなんじゃないかと感じてしまう[2]。最終的に専門学校は卒業するがほとんど中退状態となり、横浜のディスコでアルバイトを行った[2]。専門学校2年生の時に専門学校の先輩からテレビの仕事の手伝いを頼まれ、これを引き受けた[2]。真面目に専門学校に行っている生徒は卒業制作を作っている時期ではあったため学校は先輩の依頼を一度断ったが、先輩が学校の先生に「まともに学校に行っていない生徒でもいいから紹介してくれ」と頼んだところ、その筆頭として三池の名前が挙がったというのが真相であり、学校の職員がアルバイト先のディスコまで来て依頼を持ちかけたという[2]。卒業後、ディスコのアルバイトをそのままやっていくのはなんだからと、その先輩の手伝いを行うようになった[2]。フリーの助監督として今村昌平恩地日出夫野田幸男西村潔井上梅次舛田利雄村川透らの現場に就いた後、1991年にビデオ映画『突風!ミニパト隊』で監督デビュー、1995年の『新宿黒社会』で初の劇場用オリジナル作品を手掛けた。以降、コメディからバイオレンスホラーなど多岐に渡るジャンルで制作活動を続ける。1998年に、『TIME』誌がこれから活躍が期待される非英語圏の監督として、ジョン・ウーと並び10位に選出。クエンティン・タランティーノイーライ・ロスパク・チャヌクなど、海外の監督にも影響を与えた(『殺し屋1』など)。また、オマー・ロドリゲス・ロペスフライング・ロータスなど、海外ミュージシャンにもファンが多いことでも知られる。『極道恐怖大劇場 牛頭』はVシネマとして初めてカンヌ国際映画祭に出品された。旧名は三池モバ。ジャンルを問わず「仕事は来たもん順で受ける」「映像化可能であれば、まず何でもやってみる」と公言しており、多作である。

三池のその映画制作スタイルは鮮烈な暴力描写を伴うため、しばしば論争を巻き起こすものの海外での評価は高い。2001年トロント国際映画祭での『殺し屋1』の上映時には、エチケット袋を観客に配り、暴力描写が自分の持ち味であることをアピールした。海外での受賞は『極道戦国志 不動』でポルト国際映画祭審査員特別賞。『オーディション』でロッテルダム国際映画祭で国際批評家連盟賞とオランダジャーナリズム連盟賞。『カタクリ家の幸福』でジェルミナーレ国際ファンタスティック映画祭審査員特別賞。『牛頭』で第36回シッチェス・カタロニア国際映画祭審査員特別ビジュアルエフェクト賞など多数。フランシス・コッポラやウェイ・ワンがアジア人監督作品をプロデュースする企画に日本から参加が発表されるなど、ハリウッドからの引き合いもあったが、長期間携わる上に他の仕事に関わることを禁じる契約がある依頼は自分の気質には合わないため、断っているという。

2004年『IZO』(イゾウ)は、R-15指定。幕末時代の殺し屋・岡田以蔵をモチーフに、過去・未来を通じ、時間を超越した殺戮を繰り広げる様を描く。豪華な出演陣が話題となった。ヴェネチア国際映画祭に正式招待された。

2006年にはアメリカのケーブルテレビ局Showtimeが企画した、ホラー映画の巨匠13人によるオムニバステレビシリーズ『マスターズ・オブ・ホラー』の第1シーズンに、日本人唯一の参加を果たした。しかし、実際に三池が製作した『インプリント?ぼっけえ、きょうてえ?』(原作・岩井志麻子)はアメリカのテレビで最も表現規制が緩いとされる有料チャンネルの放送コードにさえ引っ掛かってしまう内容のもので、北米での放映は見送られることとなり、話題となった。また、日本では角川ヘラルド・ピクチャーズ(現・KADOKAWA)配給で映画館公開も計画されていたが、映倫が審査を拒否したため、映倫の審査が必要ないイメージフォーラムで単館上映した。

2007年11月、米『TIME』誌の調査による「Top 25 Horror Movies(ホラー映画ベスト25)」に唯一の日本映画として『オーディション』が選出された。

2014年、第9回ローマ国際映画祭ガラ部門にて、監督作品「神さまの言うとおり」が、日本人初の「マーベリック賞」を授与される事が決定された。[3]

2015年、第6回オアハカ映画祭にて、監督作品『極道大戦争』で最優秀監督賞を受賞[4]

好きな映画監督は黒澤明[5]五社英雄[6]デヴィッド・リンチ[7]ポール・バーホーベン[7]デヴィッド・クローネンバーグ[7]。好きな映画は『燃えよドラゴン[8]、『スターシップ・トゥルーパーズ[7]、『雲霧仁左衛門[5]、『闇の狩人[5]、『七人の侍[5]、『座頭市シリーズ(特に1962年の第1作目)』[5]など。

最近は一般層向けの作品以外にも、漫画やアニメを原作とした作品の監督、女児向け特撮テレビドラマ「ガールズ×戦士シリーズ」(総監督)など、特定の需要に応えた作品のディレクションにも積極的に取り組んでいる。
エピソード

2017年3月にミュージシャンの
MIYAVIと共に行った対談ではMIYAVIから「ボクの大好きな映画監督です」「人間って汚いものじゃないですか? いま綺麗な映画が多いと思うんですけど、その汚さを日本人映画監督として、ポップマイノリティーではなく第一線として『どう表現するか?』というところで闘っている監督だと思っています」と評されている。同じ対談で三池は映画監督としての自身を「ボクには向上心がない。だから逆に言うとMIYAVIさんたちの世代って『ぬるい』っていう風に自覚せざるを得ない世代でしょ? 我々はそう思ってなかったから」「俺はぬるい状況であったからこそ生きてられた。それを30ぐらいで監督になった時にかなり強く感じたんですよ」と評価している[2]

現場と作品以外からはずっとなにかから逃げていると語る人物でもあり、大学進学の見込みが無くなった際もラジオで「大学落ちたら横浜放送映画専門学院!」というCMを聴いて、大学進学に失敗した自分の逃げ道として映画を学び始めた[2]

現場では逃げ道がないため、俳優からの演技に関する質問には全部答えるなど熱心に仕事をこなすが、現場を離れると、資料としてプロデューサーから渡される映画に一切目を通さないなど、気の抜けた姿勢になる。ただし、娯楽としては映画を楽しんで観賞する性分である[2]

ひみつ×戦士 ファントミラージュ!』の出演陣は三池監督について最初は怖い印象であったが、実際には優しく和ませてくれる人物であり、演技指導でも自ら実演するなど具体的でわかりやすかったと述べている[9]

インタビュアーの吉田豪と、哀川翔との対談の中では哀川の武勇伝が幾つか語られているが、その中で三池監督の名前を出している。映画の現場で一番暴れるのは自分達俳優より監督だと発言しており、その中でも三池監督は「ハンパじゃない」と評している。

監督作品
映画

第三の極道(1995年1月17日公開、ヒーロー配給)

黒社会(大映配給)

新宿黒社会 チャイナ マフィア戦争(英語版)(1995年8月26日公開)

極道黒社会 RAINY DOG(英語版)(1997年6月28日公開)

日本黒社会 LEY LINES(1999年5月22日公開)


極道戦国志 不動(1996年10月12日公開、ギャガ配給)

岸和田少年愚連隊

岸和田少年愚連隊 血煙り純情篇 (英語版)(1997年6月21日公開、シネマ・ドゥ・シネマ配給)

岸和田少年愚連隊 望郷(英語版)(1998年9月26日公開、松竹配給)


中国の鳥人(英語版)(1998年6月10日公開、シネマ・ドゥ・シネマ/セディック インターナショナル配給)

アンドロメディア(1998年7月11日公開、松竹配給)

BLUES HARP(英語版)(1998年7月15日公開、ボノボ/パノラマ・コミュニケーションズ配給)


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