三殿台遺跡
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三殿台遺跡(さんとのだいいせき)は、神奈川県横浜市磯子区岡村にある、縄文時代から古墳時代にわたる大規模な集落遺跡である。国の史跡。約250軒の竪穴式住居跡があり、その大部分が弥生時代のものである。遺跡は現地保存されており、敷地内に復元古代住居遺構の保護施設がある。また展示施設横浜市三殿台考古館があり、出土した遺物などが展示されている。 三殿台遺跡三殿台遺跡 遺跡位置
目次

1 概要

2 施設

3 考古館利用情報

4 所在地・交通

5 その他

6 脚注

7 参考文献

8 関連項目

9 外部リンク

概要

標高約55メートルの小高い住宅街の一角にあり、広さ約10,000平方メートル。この周辺の丘の斜面に貝塚が点在していたことから、明治30年代に「屏風ヶ浦岡村貝塚」として学会誌に紹介され[1]、小規模な発掘調査が何度か行われた。

1961年昭和36年)に、隣地の滝頭小学校岡村分校(現・岡村小学校)校地拡張予定地となって大規模な発掘調査が行われ、遺跡全体が発掘され、縄文・弥生・古墳の3時代に亘る集落跡が確認された[2]1966年(昭和41年)国の史跡に指定され、翌1967年、三殿台考古館が開館し遺跡とともに公開された。住居跡は252軒が確認され、うち8軒が縄文時代、43軒が古墳時代、残余の大部分が弥生時代のものである[注 1]
施設

横浜市三殿台考古館
Yokohama Santono-dai Archaeological Museum
施設情報
正式名称横浜市三殿台考古館
専門分野三殿台遺跡出土考古資料の公開
事業主体横浜市
管理運営横浜市ふるさと歴史財団
開館1967年(昭和42年)
所在地〒235-0021
横浜市磯子区岡村4-11-22
位置北緯35度25分15秒 東経139度36分37秒 / 北緯35.42083度 東経139.61028度 / 35.42083; 139.61028座標: 北緯35度25分15秒 東経139度36分37秒 / 北緯35.42083度 東経139.61028度 / 35.42083; 139.61028
外部リンク横浜市三殿台考古館HP
プロジェクト:GLAM
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横浜市三殿台考古館には以下の施設がある。

展示室 - 概要、出土品を展示

住居跡保護棟 - 発掘状態を展示

縄文時代復元住居

弥生時代復元住居

古墳時代復元住居

事務所棟

考古館利用情報

入場料 - 無料

開館時間 - 9:00から17:00まで(10月から3月は16:00まで)

休館日 - 月曜日(祝日の場合は翌日)、12月28日?1月4日

駐車場 - 普通車5台、無料(道が狭くバスは進入不可能)

遺跡は常時出入り自由

所在地・交通

神奈川県横浜市磯子区岡村町4-11-22

横浜市営地下鉄ブルーライン弘明寺駅から市営バス219系統三殿台公園下車徒歩3分

その他

横浜出身の音楽ユニットゆずの5thアルバム「すみれ」(2003年)付属ブックレットの写真に、本遺跡内で撮影されたものがあり[3]、ゆずファンも訪れるスポットとなっている[4]
脚注

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注釈
^ 三殿台考古館サイトでは「170軒近く」を弥生時代のものとしているが、この数字は資料によって差がある。『図説 日本の史跡』1(同朋舎出版、1991)は「縄文時代8軒、弥生時代151軒、古墳時代43軒、不詳約50軒」とし、『国史大辞典』6巻(吉川弘文館)は「縄文時代8軒、弥生時代200軒、古墳時代43軒」とする。

出典
^ 藤田 1899
^ 和島ほか 1965
^ 公式HPトップページより
^ デビュー祝20周年・ゆずの素めぐり(磯子区岡村 三殿台遺跡)タウンニュース(金沢区・磯子区版)2017年5月25日閲覧。

参考文献

藤田清 1899「武蔵國久良木郡屏風ヶ浦岡村貝塚發見報告」『東京人類學會雑誌』第40巻第158号

和島誠一ほか 1965 『三殿台(横浜市磯子区三殿台遺跡集落址調査報告)』横浜市教育委員会 NAID BN08957926


関連項目

関東の史跡一覧

横浜市の歴史

外部リンク

横浜市三殿台考古館


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