三極真空管(さんきょくしんくうかん、英語:triode)は、真空にしたガラス外囲器の内部に3つの電極(フィラメントまたはカソード、グリッドおよびプレート(アノード))を持つ電子増幅真空管。三極管ともいう。リー・ド・フォレストの1906年のオーディオンから発展し、グリッド電極を熱電子ダイオード(フレミングバルブ(英語版))に加えた部分真空管である。最初の実用的な電子増幅器であり、四極真空管や五極真空管などの真空管の元になった。この発明により、電子工学の時代が築かれ、増幅無線技術と長距離電話が可能となった。トランジスタに取って代わられる1970年代までラジオやテレビなどの家電機器で広く使用されていた。
真空管式コンピュータでは、増幅素子としてではなくスイッチング素子として使い、論理回路を構成した[1]。
今日まで残っている主な用途は無線送信機および産業用高周波(RF)加熱装置の高出力RF増幅器である。近年では真空管ベースの電子機器の音を好むオーディオマニアにより真空管のオーディオシステムに新たに関心が集まっているため、低出力の三極真空管の需要が再び高まっている。
"triode"という名前はイギリスの物理学者ウィリアム・エクルズにより1920年ごろに造語された[2][3]。ギリシア語でτρ?οδο? (triodos) に由来し、tri- (3) と hodos (道) より原義は3本の道が交わる場所である。
歴史
三極管以前の装置最初の真空管である1908年のド・フォレストのオーディオン。平らなプレートが上にあり、その下にジグザグのワイヤグリッドがある。フィラメントは元々グリッドの下にあったが燃え尽きてしまっている。Lieben-Reisz管。もう1つの原始的な三極管であり、Robert von Liebenによりオーディオンと同時期に開発された。
熱電子真空管が発明される前、フィリップ・レーナルトは1902年に光電実験を行っている間にグリッド制御の原理を使用していた[4]。
ラジオで使用された最初の真空管[5][6]は、1904年にジョン・フレミングがラジオ受信機の検出器として発明した熱電子ダイオード(二極管)またはフレミングバルブであった。これは加熱したフィラメントとプレート(アノード)の2つの電極が中に入った真空ガラス球であった。 真空三極管はアメリカの技術者リー・ド・フォレスト[7]とオーストリアの物理学者Robert von Lieben
発明
ド・フォレストのオーディオンは1912年ごろ何人かの研究者によりその増幅能力が認識されるまであまり使われていなかった[18][20]。彼らはオーディオンを使用して最初に成功した増幅無線受信機と発振回路を作成した[21][22]。増幅に多くの用途があったことが、急速な発展のきっかけとなった。1913年までに真空度を高めた改良型が、ド・フォレストからオーディオンの権利を購入した米国電話電信会社(American Telephone and Telegraph Company)のHarold Arnold及びゼネラル・エレクトリックのアーヴィング・ラングミュアにより開発され、ラングミュアはこれをPliotronと呼んだ[18][20]。これらは最初の三極真空管であった[17]。"triode"という名前は、素子の数が異なる他の種類の真空管(例えば二極管(diode)、四極管(tetrode)、五極管(pentode)など)と区別する必要が生じたことから後に出てきた名前である。ド・フォレストとvon Lieben、及びド・フォレストとジョン・フレミングが代表を務めるマルコーニ無線電信会社との間には長期にわたる訴訟があった。 1912年の三極管の増幅能力の発見は、電気技術に革命を起こし、能動(増幅)電気機器の技術という電子工学の新たな分野を生み出した。三極管はすぐに通信の多くの分野に適用された。三極管「連続波」無線送信機は、扱いにくく非効率的な「減衰波」火花送信機に取って代わり、振幅変調(AM)による音の伝送を可能にした。増幅三極管無線受信機は、拡声器を駆動するパワーを持っていたため、イヤホンで聴かなくてはならなかった弱い鉱石ラジオに取って代わり、家族で一緒に聴くことを可能にした。これによりラジオは商用のメッセージサービスから最初のマスコミュニケーションメディアへと進化し、1920年ごろにラジオ放送が始まった。三極管により大陸横断電話サービスが可能になった。ベル電話会社がオーディオンの権利を購入したのちに発明された三極真空管リピータにより、電話が約800マイルという非増幅での限界を超えて伝えることができるようになった。
より広い採用