三椏
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ミツマタ
ミツマタの花の写真
分類

:植物界 Plantae
:被子植物門 Magnoliophyta
:双子葉植物綱 Magnoliopsida
:フトモモ目 Myrtales
:ジンチョウゲ科 Thymelaeaceae
:ミツマタ属 Edgeworthia
:ミツマタ E. chrysantha

学名
Edgeworthia chrysantha Lindl. (1846)[1]
シノニム


Edgeworthia tomentosa (Thunb.) Nakai, nom. rej. (1919)[2]

Edgeworthia papyrifera Siebold et Zucc. (1846)[3]

和名
ミツマタ
英名
Oriental paperbush
アカバナミツマタミツマタの木

ミツマタ(三椏[4]学名: Edgeworthia chrysantha)は、冬になれば葉を落とす落葉性の低木であり、ジンチョウゲ科ミツマタ属に属する。中国中南部・ヒマラヤ地方が原産地とされる。3月から4月ごろにかけて、三つ叉(また)に分かれた枝の先に黄色い花を咲かせる。一年枝の樹皮は和紙紙幣原料として用いられる[5][6]
名称

ミツマタは、その枝が必ず三叉、すなわち三つに分かれる持ち前があるために「ミツマタ」と名付けられた。三枝、三又とも書く。中国語では「結香」(ジエシアン)と称している。

園芸種では、オレンジ色から朱色の花を付けるものもあり、赤花三椏(あかばなみつまた)と称する。
特徴

中国中西部から南部、ヒマラヤの原産[7]。中国、ヒマラヤ、東南アジアに分布する[8]。人の手によって、庭木などとしても植えられ[9]、和紙や紙幣の原料として栽培もされている[7]

落葉広葉樹低木で、樹高は1 - 3メートルになる[7]。幹は株立ち状になり、枝が必ず三つ叉状に分かれるのが特徴で、枝が横に広がる樹形となる[9]樹皮は灰褐色で滑らか[9]。一年枝は紫褐色で、7月ごろに新芽が3つに分かれて枝が伸び始める[4][9]互生で、葉身が長さ8 - 15センチメートルの広披針形[7]

花期は3 - 4月[8]。葉が出る前に、花が球状に集まった黄色の頭花を枝先につけて、下向きに咲かせ甘い芳香を放つ[4]。花には花弁がなく、筒状で先端が4裂した筒がつき、外側に白い細かい毛が密生して、内側が黄色い[8]。果期は7月[8]。冬芽は葉芽、花芽ともに裸芽で、白色の産毛が密生する[9]。花芽は丸く、多数の花蕾が下向きにつく[9]。葉痕は半円形で枝先の表面から突き出し、維管束痕が1個つく[9]
利用

樹皮は繊維質が強く、和紙の原料、特に日本紙幣の原料として重要である[4][9]。和紙はミツマタやコウゾなどの切り株から、約1年で生育する枝の繊維を原料としており、ミツマタで漉いた和紙は、こすれや折り曲げに強い特徴がある[4]。手漉き和紙業界でも、野生だけで供給量の限定されたガンピの代用原料として栽培し、現代の手漉き和紙では、コウゾに次ぐ主要な原料となっている。現代の手漉き鳥の子和紙ふすま紙は、ミツマタを主原料としている。

徳島県では、通常は廃棄されるミツマタの幹を使った木炭とそれを成分とした石鹸が製造されている[10]。ネパールでのミツマタ栽培や対日輸出は、『官報』販売などを行う企業かんぽう(大阪市)が支援している[11]
和紙への利用史

ミツマタが中国から和紙の原料として日本へ渡来したのは、慶長年間(1596年 - 1615年)とされ[7]、和紙の原料として登場するのは、16世紀戦国時代)になってからであるとするのが一般的である。しかし、『万葉集』にも度々登場する良く知られたミツマタが、和紙の原料として使われなかったはずがないという説[誰によって?]がある。

@media screen{.mw-parser-output .fix-domain{border-bottom:dashed 1px}}平安時代の貴族たちに詠草(えいそう)料紙として愛用された斐紙(雁皮紙、美紙ともいう)の原料である雁皮(ガンピ)も、ミツマタと同じジンチョウゲ科に属する。古い時代には、植物の明確な識別が曖昧混同することも多かったために、雁皮紙だけでなく、ミツマタを原料とした紙も斐紙(ひし)と総称されて、近世まで文献に紙の原料としてのミツマタという名がなかった。後に植物の知識も増え、製紙技術の高度化により、ガンピとミツマタを識別するようになったとも考えられる[独自研究?]。

「みつまた」が紙の原料として表れる最初の文献は、徳川家康がまだ将軍になる前の慶長3年(1598年)に、伊豆修善寺にいた製紙工の文左右衛門にミツマタの使用を許可した黒印状[注 1]である。当時は公用の紙を漉くための原料植物の伐採は、特定の許可を得たもの以外は禁じられていた。.mw-parser-output .templatequote{overflow:hidden;margin:1em 0;padding:0 40px}.mw-parser-output .templatequote .templatequotecite{line-height:1.5em;text-align:left;padding-left:1.6em;margin-top:0}豆州ニテハ 鳥子草、カンヒ ミツマタハ 何方ニ候トモ 修善寺文左右衛門 ヨリ外ニハ切ルヘカラス(伊豆においては、鳥子草、ガンピ、ミツマタは、どこにあっても修善寺文左右衛門以外は切ってはならない)

とある。「カンヒ」は、ガンピのことで、他にミツマタ、鳥子草の使用が許可されている。「鳥子草」とは、ガンピ、ミツマタと同じジンチョウゲ科のオニシバリのことであると言う説がある[12]

天保7年(1836年)稿の大蔵永常『紙漉必要』には、ミツマタについて「常陸駿河甲斐の辺りにて専ら作りて漉き出せり」とある。武蔵の中野島付近で漉いた和唐紙は、このミツマタが主原料であった。佐藤信淵の『草木六部畊種法』には、三又木の皮は 性の弱きものなるを以て 其の紙の下品[注 2]なるを なんともすること無し


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