三枝 規悦基本情報
国籍 日本
出身地静岡県田方郡韮山町
生年月日 (1952-07-21) 1952年7月21日(71歳)
身長
体重176 cm
67 kg
選手情報
投球・打席右投右打
ポジション投手
プロ入り1976年 ドラフト外
初出場1977年8月7日
最終出場1980年10月24日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
日本大学三島高等学校
金指造船
大昭和製紙
阪急ブレーブス (1977 - 1979)
中日ドラゴンズ (1980 - 1982)
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三枝 規悦(さえぐさ のりえつ、1952年7月21日 - )は、静岡県田方郡韮山町[1]出身の元プロ野球選手(投手)。 日大三島高では、1970年夏の甲子園県予選準々決勝で、静岡高に延長14回敗退。社会人野球の金指造船、大昭和製紙を経て、1976年オフにドラフト外で阪急ブレーブスに入団[1]。 1年目の1977年は、9試合を投げて1勝を挙げる。1978年は主に中継ぎで24試合を投げ、4勝2敗の成績だった。6月24日のロッテとの対戦では12安打5失点を喫するが、9回に簑田浩二が逆転サヨナラ2点本塁打、初完投勝利を記録した。この年にチームは4年連続でリーグ優勝し、日本シリーズに出場。第2戦では4回に長池徳二の代走に入り、そのまま今井雄太郎をリリーフ、日本シリーズで初登板を果たすがヤクルトの角富士夫に本塁打を打たれる。1979年も4勝を挙げるが、防御率は5.21だった。 1980年に松本幸行とのトレードで中日ドラゴンズへ移籍[1]。中日では松本の背番号21を受け継ぐが、移籍1年目に8試合登板しただけで1981年からは1軍で登板できず、1982年限りで現役を引退した[1]。スライダー、シュートを武器とした。 引退後は、阪急へ戻り打撃投手を務めた。 年
来歴・人物
詳細情報
年度別投手成績
度球
団登
板先
発完
投完
封無
四
球勝
利敗
戦セ
h
ブホ
h
ル
ド勝
率打
者投
球
回被
安
打被
本
塁
打与
四
球敬
遠与
死
球奪
三
振暴
投ボ
h
ク失
点自
責
点防
御
率W
H
I
P
1977阪急92000100--1.00011026.131660080016134.501.41
1978242100420--.66732278.28181513261032293.301.22
1979165200410--.80025157.167151213230035335.211.38
1980中日80000020--.0007216.01666019001073.941.38
通算:4年579300950--.643755178.1195353927661093824.151.31
記録
初登板:1977年8月7日、対近鉄バファローズ後期6回戦(阪急西宮球場)、3回表1死から番手で救援登板、3回2/3を2失点(自責点1)