三条駅_(京都府)
[Wikipedia|▼Menu]
.mw-parser-output .hatnote{margin:0.5em 0;padding:3px 2em;background-color:transparent;border-bottom:1px solid #a2a9b1;font-size:90%}

この項目では、京阪電気鉄道の駅について説明しています。

京都市営地下鉄東西線の駅については「三条京阪駅」をご覧ください。

京福電気鉄道嵐山本線の駅については「西大路三条駅」をご覧ください。

三条駅
三条駅北ビル(2017年11月)
さんじょう
Sanjo

右は三条京阪駅
所在地京都市東山区三条大橋東詰[1].mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯35度0分32.81秒 東経135度46分20.19秒 / 北緯35.0091139度 東経135.7722750度 / 35.0091139; 135.7722750座標: 北緯35度0分32.81秒 東経135度46分20.19秒 / 北緯35.0091139度 東経135.7722750度 / 35.0091139; 135.7722750
駅番号KH  40
所属事業者京阪電気鉄道
電報略号三(駅名略称方式)
駅構造地下駅
ホーム2面4線
乗降人員
-統計年度-27,756人/日
-2022年-
開業年月日1915年(大正4年)10月27日
乗入路線 2 路線
所属路線■京阪本線*
キロ程49.3 km(淀屋橋起点)
◄KH39 祇園四条 (0.7 km)
所属路線■鴨東線*
キロ程0.0 km(三条起点)
(1.0 km) 神宮丸太町 KH41►
乗換地下鉄東西線三条京阪駅
備考*両線で直通運転を実施
テンプレートを表示


配線図
凡例

祇園四条駅





























神宮丸太町駅

三条駅(さんじょうえき)は、京都府京都市東山区三条大橋東詰にある、京阪電気鉄道。駅番号はKH40。
概要

京阪本線の終点かつ鴨東線の起点駅である。一駅隣の祇園四条駅とともに京阪の京都側の主要駅であり、京都市の中心市街地である三条通に位置している。かつては、京阪電気鉄道の京都におけるターミナル駅であることを強調するため、「京都三条駅」「三条京都駅」と呼称していたこともあった。2017年頃から大阪府内の駅の発車標などにて「[京都] 三条」の表記を再開している(正確には「京都」の部分が四角囲み)。1951年の地図では、駅名が「けいはんさんじょう」と表記されるなどした例もみられる[2]

当駅は長年にわたって京阪本線系統の終点および大津方面へ連絡する京津線の起点であることから両線の乗り換え駅として、また隣接する三条京阪バスターミナルから洛北方面への乗り換え駅として、京都市内の交通網において重要な役割を果たしてきた。だが、乗降客数では京都随一の繁華街歓楽街である四条河原町祇園の間に位置する祇園四条駅が常に上回っている。さらに、1989年に京阪本線の延長路線である鴨東線開業以降は、全ての列車が鴨東線に直通する[3]ことから実質的には途中駅扱いとなり、新たな終点となった出町柳駅よりもやや少ない乗降客数で推移している。

なお京津線の駅については1987年に「京津三条駅」として分離したのち、京都市営地下鉄東西線の開通により京津線の京津三条 - 御陵間が廃線となり、京津三条駅も廃止されている[4][5][6]

周辺地域(地下鉄駅や京阪バスのバスターミナル等)を含めて、三条京阪という通称で呼ばれている。これの由来は「三条通の京阪前」に由来するとのことで、京阪の三条駅から転じたものではない[7]。「三条京阪」は周辺の地名ではなく、京阪の京都市内のターミナル駅でもある三条駅前のことを、三条通京阪前と呼んでいた事に由来する。なお、京阪の駅名は三条駅となっており「京阪」を冠しないが、定期券や駅ビルの看板においては「京阪三条」となっている。
利用可能な鉄道路線
京阪電気鉄道

京阪本線 - 枚方市・京橋・淀屋橋・中之島線方面

鴨東線 - 出町柳方面

京阪本線の終点かつ鴨東線の起点となり、実際に当駅発着の列車が少数残っているものの、基本的に両線は当駅を介して一体的なダイヤが組まれているため、事実上折り返し可能な途中駅として取り扱われている。

なお、以下の路線の駅とは地下通路で連絡している。

京阪大津線の各駅から京阪本線系統の各駅へ切符で行く場合は、三条京阪駅まで購入し、乗り換え駅である当駅から再び切符を購入しなければならない。また、車内においての放送で三条駅からの乗り換え案内の際、「地下鉄東西線と京津線琵琶湖方面はお乗り換えです」との案内も行っている。
京都市営地下鉄

京都市営地下鉄東西線三条京阪駅

東西線三条京阪駅 - 御陵駅間は廃止された京津線京津三条駅 - 御陵駅間の代替路線としての性格を備え、東西線には御陵駅から京津線びわ湖浜大津方面に乗り入れる直通列車が設定されている。

長らく京津線とは改札内で直接乗り換えることが出来たが、1987年(昭和62年)に京阪本線が地下化し、改札外乗り換えで京津線のみしばらく地上に残っていた。1997年(平成9年)には地下鉄東西線に京津三条駅 - 御陵駅間の区間を譲り、京津線の京津三条駅 - 御陵駅間は地下鉄東西線として事実上地下化し、以降京津線は地下鉄東西線経由(三条京阪駅)で三条に乗り入れることとなった。



歴史

当初は京津電気軌道(後の京阪京津線)の三条大橋駅が開業し、そこに琵琶湖疏水鴨川運河)と鴨川に挟まれた堤防上を北上してきた京阪本線の終点として三条駅が開業、その後の京阪による京津電軌の吸収合併で両者が統合されるという経緯を辿った。なお、京阪本線清水五条 - 三条間は元来京都市電気局軌道法に基づく特許線であり、京阪本線はその特許を借用して路線を開業したことから、特許借用期限切れの前後には特許返還を求める市会の一部勢力への対抗措置として京津線との一体性を強調する運輸施策が行われるなど、京阪本線五条 - 三条間存続のために様々な方策が採られた(この経緯については京阪60型電車の項を参照のこと)。

地上時代には京阪本線が鴨川と琵琶湖疏水に挟まれた立地、しかも用地の所有権が軌道特許を保有する京都市側にあったがゆえに地形の自由な改変が出来なかったことなどから、特に京阪本線ホームの設置には様々な制約が存在した。そのため、疏水上に橋梁構造の基礎部を架設してその上に駅舎を設置し、さらに4番線ホームを鴨川に張り出して設置するなど、様々な制約の下で可能な限りの面積を確保した、特異な配置となっていた。

のちに1番線ホームが設置された琵琶湖疏水を渡る線路がもともとの本線で、2-4番線は側線であった。また、60型「びわこ」号が走行した京阪本線と京津線の連絡線は1923年にはすでに完成していた。連絡線は京阪本線の優等列車速度向上で直通列車が廃止された後も残されていたが、1969年に撤去された。しかし、その痕跡は京津三条廃止まで長く残された[8]
年表

1912年大正元年)

8月15日:京津電気軌道(現在の京津線)の三条大橋駅が開業。場所は三条通上にあった。

12月13日:三条大橋 - 三条間に特許が下りる。


1915年(大正4年)10月27日:京阪電気鉄道の三条駅開業。

1917年(大正6年)5月29日:三条大橋 ‐ 三条間が単線開業[9]西側から見た三条大橋。開業直後と思われる京阪三条駅の姿も遠望できる。

1922年(大正11年)12月28日:京阪電気鉄道・三条駅の拡張工事完了[10]

1923年(大正12年)2月20日:京津電気軌道の三条大橋 - 三条間が複線開業し、三条駅東側に移転[11]

1925年(大正14年)2月1日:京津電気軌道が京阪電気鉄道に合併され、同社京津線となる。

1934年昭和9年)9月21日室戸台風で停電、運休。24日京阪線運行再開、27日京津線運行再開[12]

1935年(昭和10年)

6月29日鴨川水害により京阪線ホームが破損、隣接する三条大橋も倒壊流失[13]

7月2日:京津線仮復旧、運行再開[14]

7月3日:京阪本線仮復旧、運行再開[14]


1939年(昭和14年):京阪線3連化に伴い、琵琶湖疏水を渡る本線を単線化し、1番線を設置[8]

1943年(昭和18年)10月1日:会社合併により京阪神急行電鉄(阪急電鉄)の駅となる。

1949年(昭和24年)

10月31日:午前9時15分停車中の車内でアセチレンガス発生器が爆発、土木課社員1名即死・乗客1名軽傷[15]

11月1日:京津線の三条大橋駅を京阪本線三条駅と統合[10]

11月30日:三条総合駅竣工[10]

12月1日:会社分離により再び京阪電気鉄道の駅となる。


1951年(昭和26年):駅中店舗がオープン。

1955年(昭和30年)10月17日:バスセンター拡張工事竣工[10]

1958年(昭和33年)7月15日:南口バスセンター改良工事竣工[10]

1960年(昭和35年)8月30日:台風16号による鴨川の増水で川の上に張り出したホームの一部が落下[16]

1961年(昭和36年)3月1日:駅改札内に「のれん街」開業[10]

1963年(昭和38年)

4月8日:駅構内に「味のれん」開業[10]


次ページ
記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:88 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef