三条西実清
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 凡例三条西実清
時代室町時代初期
生誕文中元年/応安5年(1372年
死没応永13年2月16日1406年3月6日
官位従三位権中納言
主君後円融天皇後小松天皇
氏族三条西家
父母父:三条西公時
子養子:公保[1]
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三条西 実清(さんじょうにし さねきよ)は、室町時代初期の公卿権大納言三条西公時の子。官位従三位権中納言。実子がないまま早世したため、伯父である正親町三条公豊の二男公保三条西家を継いだ。
経歴

以下、『公卿補任』の内容に従って記述する。

応永10年(1403年)3月22日、参議に任ぜられる[2]。この時、正四位上元蔵人頭右中将は元の如し。

応永11年(1404年)3月17日、美作権守を兼ねる。

応永12年(1405年)1月6日、従三位に叙される。3月17日、権中納言に任ぜられる。

応永13年(1406年)2月16日、薨去。

系譜

父:
三条西公時(1339-1383)

母:不詳

妻:不詳

養子

男子:三条西公保(1397-1460) - 正親町三条公豊の次男


脚注[脚注の使い方]^ 伯父正親町三条公豊の二男
^ 任参議以前の経歴が不詳であるが、少将、中将を経て蔵人頭に補せられたものと考えられる。三条西家は四位のまま参議に任ぜられ、その後に従三位に叙せられるという官途をたどるのである。

参考文献

公卿補任』(新訂増補国史大系)吉川弘文館 黒板勝美、国史大系編集会(編) ※ 応永10年(1403年)に実清が参議となった時以降の記事。

尊卑分脈』(新訂増補国史大系)吉川弘文館 黒板勝美、国史大系編集会(編) ※「三条西公時」および「正親町三条公豊」の項。

芳賀幸四郎、『三条西実隆』、吉川弘文館、 人物叢書

原 勝郎、『東山時代に於ける一縉紳の生活』、講談社学術文庫


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