三条実綱
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この項目では、戦国時代の公卿について説明しています。三条公教の長男である平安時代後期の公卿については「藤原実綱 (公教男)」をご覧ください。

 凡例三条実綱
時代戦国時代 - 安土桃山時代
生誕永禄5年(1562年
死没天正9年2月7日1581年3月11日
改名三条公宣→実綱
官位正三位権中納言右大臣
主君正親町天皇
氏族三条西家三条家
父母父:三条西実枝、母:正親町三条公兄の娘
兄弟三条西公世、三条西公国、実綱、稲葉良通正室、高倉永孝室
子継承者:公広
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三条 実綱(さんじょう さねつな)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての公卿。初名は三条公宣。内大臣三条西実枝の子。官位正三位権中納言右大臣。主に正親町天皇(106代)の代に朝廷に仕えた。
経歴

三条家の分家正親町三条家の分家三条西家の三条西実枝の子として誕生。母は内大臣正親町三条公兄の娘。

本家筋の三条家当主の公頼周防国へ下向していた際に大寧寺の変に巻き込まれて殺され、嗣子もなかったため、三条家を相続した。永禄12年(1569年)に叙爵。その後、清華家当主として速い速度で出世し、幼くして侍従左近衛中将などを務め、天正8年(1580年)までには正三位・権中納言となっていたが、その翌年に死去した。享年20。

早世を惜しまれて死後に右大臣を追贈された。兄公国の次男公広が三条家を相続した。
系譜

父:
三条西実枝(1511-1579)

母:正親町三条公兄の娘

妻:不詳

継承者:三条公広(1577-1626) - 三条西公国の次男










三条家18代当主

実行

公教

実房

公房

実親

公親

実重

公茂

実忠

公忠

実冬

公冬

実量

公敦

実香

公頼

実教

実綱

公広

実秀

公富

実治

公兼

公充

実顕

季晴

実起

公修

実万

公睦

実美

公美

実憲

公輝

実春

公隆

実久


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